紗蘭広夢の俳句と街道歩き旅

二度目の東海道五十三次歩きと二度目の中山道六十九次歩きのブログを書いています。今、中断していますが、俳句も書いています。

2022-01-16から1日間の記事一覧

下野惣社(史跡)

案内板 「 下野惣社(史跡) 惣社明神、室の八嶋明神ともいう。下野惣社として知られたもので、祭政一致の時代、毎朝国司がおまいりした神であり、それは下野国中に分布する神々にお参りする代わりにこの神社に奉幣する。いわゆる惣社の神であった。 おおみ…

芭蕉と室の八嶋

案内板 「 芭蕉と室の八嶋松尾芭蕉は元禄2年 (1689) 『奥の細道』 への旅に出発した。 途中、 間々田 小山を 経て飯塚から左に折れて川を渡り室の八嶋 に立ち寄っている。その時詠んだというのが 『糸遊に結びつきたるけぶりかな」』の句である。むかし、この…

下野惣社(室の八島)

案内板 「 栃木市指定文化財(指定第38号) 下野惣社(室の八嶋) しもつけそうじゃ むろのやしま 昭和43年2月26日指定大神(おおみわ)神社は、今から1800年前、大和の大三輪(おおみわ)神社の分霊を奉祀し創立したと伝えられ、祭神は大物主命…

喜沢西の一里塚跡

案内板 「 日光街道西一里塚(史跡)一里塚は、一里(約四キロメートル)ごとのしるしとして、道路の両側に木を植えた塚をいう。 慶長四年(一六〇四)、徳川家康は、後のに大将軍秀忠に命じて、江戸日本橋を起点とし、東海道、東山道、北陸道に、エノキなどを植え…