石碑文
「 如意輪観音の由来
金沢宿本陣問屋、三代目小松三郎左衛門は、金沢山をめぐる金沢町と千野村との山論においてその中心となって働いた人である。延宝六年(一六七八)藩奉行所の裁許状に村、金沢町の立場を強く主張したが、奉行所では駅伝馬の遅れを裁許状に服しないのを理由にはりつけの刑に処した。処刑はその年の十月二十五日町民涙で見守る前で三十四歳を一期に刑場の露と消える。処刑の地はこの付近と伝えられている。
寛延二年(一七四九)供養の地蔵尊が建てられたがいつの頃か水害にあい流失したものと思われる。安政十二年(一八〇〇)下町の人々にのり祀られた如意輪観音をその対象として供養が行われ今日に至っている。
昭和五十九年十月二十五日
小松三郎左衛門奉賛会 」