案内板
「 勝沼学校跡
勝沼町内には、明治九年に造られた祝学校と明治十三年に造られた勝沼学校の二棟の藤村式学校建築がありました。共に南部下山大工の松木輝殷(てるしげ)が手掛けたものです。
勝沼学校は、勝沼町と等々力村の学校として建てられ、明治十三年六月の明治天皇御巡幸の折り安在所となりました。木造二階建て、一階に車寄、二階にベランダをそなえたE字型校舎でその後の学校建築や、明治村にある東山梨郡役所などの庁舎建築に大きな影響をあたえました。昭和三十年四月に取り壊されてしまいましたが、玄関の柱と扉が今も保存されています。