案内板
「 甲州街道
黒埜宿 笠懸地蔵
由来
往古より此の街道の路傍に分厚い笠様の物を頭に立ちつくす。小作りの珍形石造地蔵が在る。
之を黒埜宿、笠懸地蔵と呼ぶ。しかし、此の由来に就いては今も詳ならず
創建は安政二年卯5月(1855)十三代将軍徳川家定の天領政治時代と刻字が有る。
此の地蔵創建の根源を考証するとき、遠くは天明、百性一揆を農史にとどめた。天保の大飢饉、徳川天領時代の七公三民の重税、領民の生活は農作物等の不作に依る餓死、心中、乞食、其の窮乏は後絶たず、領民は襲ってくる苦汁に満ちた諸業を善しかれと地蔵に心願して来たものである。
今は只、笠懸地蔵として伝へる術しか有り得ない。
平成四年 黒埜宿領民説之 」