案内板
「 大椚の一里塚跡
指 定 昭和47年3月22日
所在地 上野原市大椚字大浜167番地付近
説 明
一里塚 は、江戸時代、江戸日本橋を基点にして五街道の一里ごとに目印のため作られた塚であり、塚の上にはエノキ・松・ケヤキなどが植えられました。当時は、街道を行き来する旅人が距離を知る目安にしましたが、長旅のひと休みや雨宿りの場としても使われ、旅人には欠かすことのできない大切な場所でした。
上野原地域には甲州街道に沿って4ヶ所の一里塚が作られ、大椚の一里塚 は、江戸から19番19里にあたります。現在、その跡は残されていませんが、鶴川宿 から大椚集落 に入る手前の道の両側にあったことが江戸時代の絵図などからわかります。