案内板
「 吉野本陣
此処、藤野町吉野238番地吉野家は、江戸時代甲州街道吉野宿本陣・名主であり、現在でも屋号を「本陣」と呼びます。吉野家の由緒は弘安年間に遡り、承久の乱(1221年)の時、一族は天皇方に従い、宇治勢田で北条義時を討ったが闘いに敗れ、故郷を去りこの地に住み着きました。
江戸時代に関東五街道制定と共に参勤交代の大名宿泊のため、街道宿駅名主の家を本陣に定め、道中奉行の統制のもと公用人馬の中継ぎを行わせていた。江戸時代末期の本陣は、木造5階建ての偉容を誇り、明治13年明治天皇行幸の際は行在所となり、陛下はこの2階で昼食をされたとの事であります。建物は明治29年暮れの大火で焼失したが、当時侍従であった神奈川県令の書と天皇御出立直後の写真が今も保存されています。 」