案内板
「 国指定史跡 小仏関跡
所在地 八王子市裏高尾町四二〇番地の一外
指定年月日 昭和三年一月十八日
小仏関所は、戦国時代には小仏峠に設けられ富士見関ともよばれた。武田・今川・織田などの周辺の有力氏が滅びると麓に一度移され、その後、北条氏の滅亡により、徳川幕府の甲州道中の重要な関所として現在地に移されるたともに整備された。
この関所は、道中奉行の支配下におかれ、元和九年(一六二三)以降四人の関所番が配備された。
関所の通過は、明け六ツ(午前六時)から暮六ツ(午後六時)までとし、しかも手形を必要とした。鉄砲手形は老中が、町人手形は名主が発行。この手形を番書の前にすえられた手形石にならべ、もう一つの手付き石に手をついて許しを待ったという。
特に『入鉄砲に出女』は幕府に対する謀反の恐れがあるとして重視しきびしくとりしまった。抜け道を通ることは『関所やぶり』として『はりつけ』の罪が課せられるなど厳しかったが、地元の者は下番を交替ですることもあって自由な面もあったらしい。明治二年(一八六九)一月の太政官布告で廃止され、建物もとりこわされた。
平成十年七月一日
八王子市教育委員会 」