案内板
「案内板
「 市史跡
行 人 塚
所在 飛田給一丁目二十五番地 薬師堂境内
甲州街道と大山海道との交差点
指定 昭和四十九年七月十二日
この塚は、仙台の人松前意仙の入定塚である。
伊達藩士にして医師であった意仙は、薬師如来に帰依礼拝の心があつく、各地の仏閣廻拝の心を遂げようと、諸国遍歴の末ここに足をとどめた。その後、意仙は石仏説明のとおり、薬師如来像をつくり、大願成就後、自ら墓穴を掘り、村人に「鉦のやんだときは、わが命のつきたときである」と言い残してその中には入り端座叩鉦誦結三昧の末、元禄十五年(1702)一月十二日に入定したという。
その死後、村人によって塚が築かれて行人塚と呼ばれている。
意仙の感化は、里人はもとより近隣にもおよび、その慈悲の深さに人々は敬拝し、碑を建てて信仰に励んだといわれている。郷土の民間信仰史上三百年の長い間にわたり、今日なお大きな宗教的感化を残している。
現在のこの塚は、昭和47年に改修されたもので、この工事の際に専門家が発掘し、遺骨の存在が確認された。