古河の歴史を彩る重要人物は数あれど、日本の歴史上、最初に戦国時代の基を開けた初代『古河公方』、足利成氏(一三四三?~一四九三)ほどのビッグネームは見当たらないかもしれない。公方という言葉が将軍の真称であることを考えても、成氏の権力と存在感の大きさは、容易に想像できるであろう。
成氏の父、持氏は、室町幕府開祖の足利尊氏の子基氏に始まる鎌倉公方の四代目であった。将軍六代目への継承に野心を抱いていた持氏は、幕府への反逆を企てるも『永享の乱』に敗れて自刃。その後、公方不在の関東の情勢が不安定となると、鎌倉幕府は成氏を鎌倉公方に任命している。
しかし、父の遺志を受け継ぐかのように、成氏は、幕府へ対抗しはじめ、『享徳の乱』を契機に鎌倉から古河へ移座『古河公方』を自称した。成氏は、三十年に及ぶ享徳の乱の終結後も鎌倉に復帰することなく、古河の地で没。以後、江戸時代に至るまでの一三〇年間、古河は五代にわたる古河公方足利氏の拠点となり、独特の文化を育んでいくのである。」