紗蘭広夢の俳句と街道歩き旅

二度目の東海道五十三次歩きと二度目の中山道六十九次歩きのブログを書いています。今、中断していますが、俳句も書いています。

草加宿久野家住宅

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   「       久野家(大津屋 )住宅[店舗部分]

 草加宿 では街道 がほぼ直線状に設けられたが、北の端では曲輪 のように大き
くカーブする。久野家 はその曲り端に位置している。記録によれば 宿場 は開宿
以来四回程の大火 や震災 に見舞われ、そのたびに蘇ってきた。家伝 によればこ
の家は安政 二年(一八五五)のは江戸大地震 に耐えたという。幸いにも明治三年
(一八七〇)の大火をも免れた。以来この場所で宿場の変遷を見続けてきた。
 やや小ぶりな建物ではあるが、宿内では古い形式を伝える町屋 建築である。
居住部分は後世に建てかえられたが所有者の強い思いから店舗部分が残されて
きた。
外観は平入切妻造り瓦葺きで、いわゆる川越 城下 に見られる土で厚く塗り籠
められる完成された『土蔵造り 』とはなっていないが店舗部分と居住部分が丁
の 字に組み合わされた形式(町屋建築 という)を伝える ものである。
街道に面して間口(桁行)五間、奥行(梁行)ニ間半の本体に街道側に差し掛け屋
根形式の下屋を降ろしている。屋根は比較的低く抑えられているのは二階に当
たる部分が未発達で住むことを意識されていなかったためと思われる。
間口に対して奥行の深い敷地との関係から背面、両側面は土壁で開口部は正
面のニ間半と背面の半間(居住部分との接続)のみで閉鎖的になっている。正面
の出入り口には両戸と兼用の『揚戸』を用い、全開すれば陽光は店の内部まで
届いた。内部に入ると大きな『差桁』を縦横に刻み合わせ、現代の建築には見
られない力強さをみせる。内側から街道を見渡すと、太い柱や差桁が額縁のよう
に光をさえぎりゆったりとした時間が流れるようである。ひと時のタイムスリ
ップを楽しんでいただきたい。
二階(小屋裏部分)は小屋組みが露出し、街道側にニ箇所、僅かな採光部分
を確保しているが昇降設備を常備しないところから見て荷物の収納などに使用
されたものであろう。    」