紗蘭広夢の俳句と街道歩き旅

二度目の東海道五十三次歩きと二度目の中山道六十九次歩きのブログを書いています。今、中断していますが、俳句も書いています。

中山道六拾七番宿場武佐宿

中山道六拾七番宿場武佐宿

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案内板
中山道六拾七番宿場武佐宿

武佐は昔『牟佐』又は『身狭』の字を使ったが江戸時代頃よりこの『武佐』をつかう。
蒲生郡第一の賑わいをみせ 中山道の大きな驛として 人馬の継立は人夫五十人馬五十駄を常設、本陣、脇本陣各々一、問屋二軒を有し旅籠は二十三軒あったと言われる。
この絵圖は享保拾参年(1728年)六月に輸入された象が翌年(1729年)三月 大阪、京都、大津を経て、この武佐宿で一泊した時の様子で、ここは象の通った道として知られている。
(この資料は近江蒲生郡志、東京国立博物館所蔵関西大学図書を参考に、原画は近江八幡市立東中学校の生徒作品です)」