紗蘭広夢の俳句と街道歩き旅

二度目の東海道五十三次歩きと二度目の中山道六十九次歩きのブログを書いています。今、中断していますが、俳句も書いています。

泡子地蔵のいわれ

泡子地蔵のいわれ

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案内板
「 泡子地蔵のいわれ

昔この地に村井藤斎という者が、茶店を構え妹が茶を出して旅人を休ませていた。
ある日、一人の僧が来てこの茶店で休憩をしたところ、妹はすぐに大変深くこの僧に恋をした。
そして、この僧が立ち去ると僧の飲み残した茶を飲んだ。すると不思議やたちまちにして懐妊し男の子を産み落とした。
それから三年してその子を抱いて川で大根を洗っていると、旅僧が現れて、嗚呼不思議なるかなこの子の泣き声がお経を読んでいるように聞こえるという。
振り向いてその旅僧を眺めると、三年前に恋をした僧であった。 妹が前年の話をするとその僧が男の子にフッと息を吹きかけたとたん泡となり消えてしまったと言う。 僧が云うに、西の方にある『あら井』というところの池の中に貴き地蔵がありこの子のためにお堂を建て安置せよ。 現在は西福寺の地蔵堂に祀ってある。このことは西生来の町名の由来でもある。 」

案内板の左下の囲み記事に「泡子地蔵縁起」が書かれていて、「静里 北川 舜治著 『近江名所案内記』(明治三十四年)」から引用された文章で、漢字と、送り仮名はカタカナで書かれています。一読した限りでは、この漢文調の文章を分かりやすく書き下したものが、この「泡子地蔵のいわれ」だと思われます。