若宮八幡宮「産の宮」
案内板
「 由緒
若宮八幡宮『産の宮』
南北朝の爭乱の頃足利尊氏の子義詮(よしあきら)が文和四年(一三五五)後光厳天皇を奉して西江州に戦い湖北を経て大垣を平定し翌五年京都に帰ることになった。その時義詮に同行した妻妾が途中で産気づき、ここで男子を出産した。付人として家臣九名がこの地に残り保護したが、君子は幼くして亡くなった。生母は悲しみのあまり、髪を下ろして醒悟と称して尼となりこの地に一庵(松寺)を結んで幼君の後生を弔った。こゝに土着した家臣九名が竹と藤蔓でつくった葛籠を生産するようになり、松寺の北方に一社を祀りてこの宮が出来た。古来『産の宮』として安産祈願に参詣する人が多い。 」