高宮布の布惣跡
案内板
「 高宮布の布惣跡
高宮布は高宮の周辺で産出された麻布のことで室町時代から貴族や上流階級の贈答品として珍重されていました。
高宮細美とも近江上布ともよばれ江戸時代になってからも高宮はますます麻布の集散地として栄えました。
布惣では七つの蔵に一ぱい集荷された高宮布が全部出荷され、それが年に十二回繰り返さなければ平年でないといわれたと聞きます。
現在五つの蔵が残っており当時の高宮嶋の看板も現存しています。 」
座・楽庵の建物は加藤家住宅だそうです。
JAPAN GEOGRAPHICより
↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓
国登録文化財指定:主屋、一之蔵、二之蔵、三之蔵 ■加藤家住宅は、高宮宿の旧中山道に面して建ち、高宮神宮参道と向かい合っている。かつて「布惣」の屋号で高宮布を扱う麻布商だった。
高宮は麻布の集積地として栄えた。この周辺で産出される極細の麻糸で織った高宮麻布は歴史が古く室町時代にすでにその名が知られてた。
産地は犬上・愛知・神崎・蒲生・坂田など今の東近江市近辺の緒郡で高宮の問屋に製品が集積され全国に売り出された。
高宮布の伝統は豊富な軟水、適度な湿気に恵まれて成立った。布惣は大きな問屋で高宮布を全国に宣伝販売していた。江戸時代には彦根藩の保護を受けて大いに栄えた。彦根藩では献上品として高宮布を使った。
↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑