紗蘭広夢の俳句と街道歩き旅

二度目の東海道五十三次歩きと二度目の中山道六十九次歩きのブログを書いています。今、中断していますが、俳句も書いています。

大谷吉隆墓の石標

大谷吉隆墓の石標

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「墓カード詳細 文化遺産ガード公式ホームページ」より

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大谷吉継(吉隆)の墓

国史跡「関ケ原古戦場 大谷吉隆墓」

平塚為広碑より山中へ徒歩15分、大谷陣跡より徒歩5分

解説
大谷吉継は藤堂・京極隊や反応した小早川隊などと激戦を繰り広げましたが、次々と味方の武将も討ち死にし、この地で自刃しました。吉継の首は、湯浅五助の手により埋め隠されました。五助はその後、首の在処を藤堂に正直に伝えて供養を頼んだ上で討たれました。敵ながらに感心した藤堂は、合戦後、約束通り吉継の墓をこの地に建てたと言われています。

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