紗蘭広夢の俳句と街道歩き旅

二度目の東海道五十三次歩きと二度目の中山道六十九次歩きのブログを書いています。今、中断していますが、俳句も書いています。

如来寺の由来・善光寺式阿弥陀三尊仏

如来寺の由来・善光寺阿弥陀三尊仏

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案内板
如来寺の由来

 善光寺如来が、難波より信濃へ向う途中、お昼の供養をした関係から、建久六年に僧の定尊が、村東の花岡山 の上に三尊仏を安置し、名を如来寺としました。後年、織田信長の兵火にあい当地に移り、秘仏となりました。又、御本尊の開帳は十五年に一回行われています。
大垣市青墓篇 より)

 御本尊は善光寺の分身仏としては日本
で最初のものです。特に、一体分身の如来といい、現在は大垣市重要文化財 の指定を受けています。
(昼飯善光寺分身略縁起 より)

大垣市立青墓小学校 」


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案内板
大垣市指定重要文化財
善光寺阿弥陀三尊仏

 当寺の本尊は長野善光寺の三尊仏の
尊影を模刻した仏像であることから、
善光寺阿弥陀三尊仏と呼ばれている。
この仏像は鎌倉時代の作と伝えられ、
法身は中央の阿弥陀如来像が四九・五
センチメートル、脇侍の観音菩薩像、
勢至菩薩像がともに三三・五センチメー
トルと三体の均整がとれた作風であ
る。また、三尊が一つの光背に納まっ
ている一光三尊仏 であり、善光寺の分
身仏にふさわしい浄土来迎を思わせる
紋様も彫刻されている。

大垣市教育委員会