案内板
「 如来寺の由来
善光寺如来が、難波より信濃へ向う途中、お昼の供養をした関係から、建久六年に僧の定尊が、村東の花岡山 の上に三尊仏を安置し、名を如来寺としました。後年、織田信長の兵火にあい当地に移り、秘仏となりました。又、御本尊の開帳は十五年に一回行われています。
(大垣市青墓篇 より)
御本尊は善光寺の分身仏としては日本
で最初のものです。特に、一体分身の如来といい、現在は大垣市重要文化財 の指定を受けています。
(昼飯善光寺分身略縁起 より)
大垣市立青墓小学校 」
当寺の本尊は長野善光寺の三尊仏の
尊影を模刻した仏像であることから、
善光寺式阿弥陀三尊仏と呼ばれている。
この仏像は鎌倉時代の作と伝えられ、
法身は中央の阿弥陀如来像が四九・五
センチメートル、脇侍の観音菩薩像、
勢至菩薩像がともに三三・五センチメー
トルと三体の均整がとれた作風であ
る。また、三尊が一つの光背に納まっ
ている一光三尊仏 であり、善光寺の分
身仏にふさわしい浄土来迎を思わせる
紋様も彫刻されている。