紗蘭広夢の俳句と街道歩き旅

二度目の東海道五十三次歩きと二度目の中山道六十九次歩きのブログを書いています。今、中断していますが、俳句も書いています。

西の見附跡

西の見附跡
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案内板
「 西の見附跡

見附とは、宿場の入口と出口に備えた簡易な防御施設のことです。台状に土手を築いたり、周りを石垣で囲んだり、盛土をして木の柵を立てたりしました。鵜沼宿には、東の見附と東西の見附がありました。
鵜沼宿の見附は、江戸時代の『鵜沼宿家並絵図』(中島家文書)に描かれています。家並図と現在の地図を照らし合わせると、西の見附は概ねこの看板の辺りと考えられます。具体的な構造は分かっていません。
江戸時代の参勤交代では、西から鵜沼宿へ入るときは、途中、人家の少ない道を通ってきますので列が乱れており、このすぐ西にある空安寺あたりで隊列を立て直し、『したにー、したにー』と大声を上げて、恰好を付けながら宿内に入っていったと思われます。鵜沼宿の人々は、おそらく下座をして迎えたのでしょう。 」