紗蘭広夢の俳句と街道歩き旅

二度目の東海道五十三次歩きと二度目の中山道六十九次歩きのブログを書いています。今、中断していますが、俳句も書いています。

祐泉寺

祐泉寺
f:id:asiandream0804:20210131144708j:plain
f:id:asiandream0804:20210131144728j:plain
案内板
「 祐泉寺

龍興山(りゅうこうざん)祐泉寺は臨済宗妙心寺派の寺院で、寺伝によれば文明6年(1474)、土岐源氏・土岐頼政の次男、東陽英朝禅師(大道真源 だいどうしんげん)が湧泉庵という庵を結んだことにはじまるといわれています。
永正年間(1504~1521)には八百津の大仙寺の末寺となり、祐川庵といいました。寬文年間(1661~1673)には、関の梅龍寺末寺の祐泉寺となり、明治になって妙心寺本山の直末となりました。
また、火難水難から守るとの言い伝えが残る瀧場観音があり、美濃西国27番目の札所になっています。
境内には坪内逍遙北原白秋といった文人が詠んだ歌碑、槍ヶ岳を開山した潘隆上人、『日本ライン』の命名者、志賀重昂(しげたか)の墓碑などが残されています。 」