紗蘭広夢の俳句と街道歩き旅

二度目の東海道五十三次歩きと二度目の中山道六十九次歩きのブログを書いています。今、中断していますが、俳句も書いています。

岡瀬沢の社宮司の話

岡瀬沢の社宮司の話
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案内板
中山道大井宿岡瀬澤の
宮司(しゃぐじ)の話

現在場所 恵那市大井町岡瀬澤字前田
二二七七番地

中山道を横断する古くからの用水路沿いで、中山道の南側約10mで地目原野29㎡が社宮司です。大きな桧が一本立っています。その根元には、氏神と金神の二つの石祠(ほこら)が祀られています。社宮司は、中部から関東に多く知られています。社宮司は信州の諏訪が根元で土地の神の信仰であり、木の神とされています。しかし恵那市内の社宮司については、近世はじめの土地調査(検地という)に使用した尺杖(しゃくじょう)や水縄(みずなわ)を土地の神に謝し納めたところと伝えられています。中山道沿いの社宮司について、中山道分間延絵図(東京国立博物館蔵)を見ますと馬篭宿の、新茶屋の立場(たてば)から大湫(おおくて)宿の烏帽子岩(えぼしいわ)までの間では、岡瀬澤と中野村新田(現恵那市長島町中野村新田)の二ヶ所のみです。この岡瀬澤の田の多くは江戸時代初期に開かれました。また、中野村新田も同様ですので、検地に関係があると考えられます。なお、桧の根元の氏神石祠は古くからその位置にありましたが、金神の石祠は昭和七年に祀られたものです。

恵那市教育委員会
大井町づくり協議会 」