町並みと枡形
案内板
「 町並と枡形
中津川宿は江戸日本橋から数えて四十五番目の宿駅で、本陣、脇本陣、庄屋、二軒の問屋場が置かれていた。武家は常に軍旅にあるとの考えから、主人が休泊するところを本陣といい、家臣が宿泊するところを下宿といった。
本陣は中津川でも最も高い場所に置かれ、水害などの災害にあうことはなかった。大名などが休泊する場合は常に敵の攻撃に対する防御や退却方法が考えられており、自身番も置かれていた。横町から下町にかけて町角を直角に曲がる枡形は、人為的に造られたもので、本陣や脇本陣のある宿駅の中心部が直線的に見渡すことができないように造られていた。