紗蘭広夢の俳句と街道歩き旅

二度目の東海道五十三次歩きと二度目の中山道六十九次歩きのブログを書いています。今、中断していますが、俳句も書いています。

岩出観音

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案内板
「 岩出 観音

奉仏 馬頭観世音菩薩

別名を伊奈川観音又は橋場観音といい、口伝によると三百余年前須原の一老父が馬の省を作り商いをしていた。
或日一人の威厳ある馬上の侍が馬の省を求めたが折り悪く片足分しかなかつたのでその旨を伝え、不足分を早速作り後から追いかけて現在の橋場の入口付近で渡した。侍は喜んで代金を渡そうとした
が老父はその侍の尊容に打たれて代金を辞退したところ傍らにあつた木片を取らせ馬上で『馬頭観世音』と書いて渡し『必ずこれを信仰せよ、御利益があるであらう』と言って立ち去ったと云う、俗にこれをコッパ観音とも云う。老父はそれを家に安置したところ光明を放つたので、恐れを抱いて橋場の岩出山の岩間に
祀ったところ一層赫々と光明を放ったので、忽近郷近在の評判となり来拝するものが多くなったので、近隣の助力を得て、この木片に観世音菩薩と刻み京都まで出掛けて妙心寺の名僧愚堂国師の開眼を受けて持ち帰り、一宇を建立して、奉安したところ 信仰する者多く、
縁日(一月十七日、二月の初午)には遠くから大勢御詣りに来られる様になった様です。
毎年一月十七日 初観音縁日、1月の初午縁日は午前十時半より法要を行っております。福ダルマ、お守り、お札の頒布も行います。
大桑村須原 定勝寺
平成十四年一月十七日
掲示板寄贈
柳橋政明氏 」