紗蘭広夢の俳句と街道歩き旅

二度目の東海道五十三次歩きと二度目の中山道六十九次歩きのブログを書いています。今、中断していますが、俳句も書いています。

ここは中平です

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案内板
「 ここは中平(なかだいら)です

元禄七年(一六九四)の『岩郷村御役木惣百姓中ヨリ出ス高之覚』には、中平は『長吉・長兵衛』の二人の名がでているが、享保九年(一七二四)の『岩郷村家数書上帳』には、中平の部落名はでてこない。明治十一年の『福島村誌』には『(川渕橋)同上、中平里に在り、里中の用水の下流に在り、川渕一名中平と云う。長四尺幅二間二尺』とあり中平が川渕の一部であったと考えられる。天保九年(一八三八)の『木曽巡行記』には『中平は木櫛挽き売る』とありここには立場茶屋がおかれ木櫛を売っていた。
川渕(かわぶち) 現在の中平から塩渕までの木曽川べり(関西電力塩渕えん堤付近)に集落があったことが考えられる。享保九年(一七二四)の『岩郷村家数書上帳』には『家数五軒川渕』とあり寛保二年(一七四二)の『福島村、岩郷村地図』には田沢の対岸に川渕とあるが、明治七年(一八七四)の『岩郷村地図』には川渕は載っていない。
木曽福島町史 」