紗蘭広夢の俳句と街道歩き旅

二度目の東海道五十三次歩きと二度目の中山道六十九次歩きのブログを書いています。今、中断していますが、俳句も書いています。

薮原高札場跡

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案内板
藪原宿高札場跡

江戸期になると、幕府中心の幕藩体制が確立した。その情報伝達方法として『高札場』が、都市・宿場・在郷等に設けられました。
初期には法度や掟書きなど老中交替の都度高札として出された。正徳年間以降(1711~)変更のないのはそのまま『定札』として幕末まで維持された。他に『覚』等の高札もあって時期により掲示枚数が違う。
藪原宿の高札場(御判形とも呼んでいた)は高さ二間三尺幅二間四尺の建造物で、この場所にあった。
左にくだる坂道(旧中山道)一帯を出口といって京方からの宿場入り口のあたり、ここが鍵の手(枡形)のような道になっているため人々が集まり目につき易い所だった。掲示の高札は宿場町らしく、定三札(人倫・徒党・切支丹)と駄賃札等が主流だったと思われる。木祖村郷土館には、当宿場に掲示されていた幕末期の 定三札の一つがある。 」