常光寺観音堂跡
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当観音堂は、本組の西、長塚山の東山麓、遠くむこうに菅平の山脈が望める高台にある。地元の人たちにお観音さんと呼ばれて親しまれ、昔は子供たちの遊び場所でもあった。昭和55年境内は整備され、玉垣に囲まれた、間口3間、奥行き4間の立派なお堂に建て替えられた。
堂前には、定額山善光寺貫主義薫書の「信濃二十一番岡田観音堂」と銘記された石碑が信濃の霊場としての風格を表している。石段を上り堂内に入ると、三段台座に蓮華台を置き、舟形光背っを背にした美しい十一面観音を拝することができる。厨子の扇の内側には脇待の不動明王と毘沙門天が金箔地に極彩色で描かれている。
この観音は、中山道木曽路の入口である、本山宿の小沢山常光寺にあったが、天和元年(1681)廃寺となり、観音堂は村人に守られ残った。明治元年に公布された、神仏分離令による廃仏毀釈によりより廃堂となり、お堂は松本今井の宝輪寺に移築されたが、本尊の行方は不明であった。明治9年、信仰心の厚い岡田の岡沢彦治郎が、西国巡礼の途中名古屋の宿で同宿した古物商から本山の観音の話を聞き、信濃から由緒ある観音が他国に流れるのを惜しみ、古物商から買求めて自宅に持ち帰り、その後岡沢氏所有の現在地に堂を建て、これを安置し守り続けて今日に至ったものである。
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