和泉式部の守り本尊
案内板
「 和泉式部の守り本尊
銕焼地蔵尊と ”かね”
今から千年あまり語りつがれて来た伝説です。下諏訪の湯屋別当方に”かね”という幼い娘が奉公していました。
畑に行く時はいつも道端のお地蔵様に自分の弁当の一部をお供えする心のやさしい娘でした。
ある時”かね”をそねんでいた仲間がつげ口をしたことから別当の妻はおこり、焼け火箸でかねの額をうちすえました。いたさにたえかねた”かね”は日頃信心のお地蔵様のもとに走り、ひざまずいて泣きながら祈り仰ぐと、お地蔵様の額から血が流れでており、自分の痛みは消え、傷はなくなり美しい顔にかわっていました。
お地蔵様が”かね”の身代わりになってくださったのです。この話は瞬く間に拡がって誰言うことなく『かなやきさまは霊験あらたかなお地蔵様』と遠近に聞こえ、お参りする人で賑わうのでした。たまたま都からこの地を訪れた大江雅致がこの話を聞き”かね”をぜひにと、都に伴い養女としました。雅致夫妻のもとで書道・歌道などを学んだ”かね”は宮中に仕えるようになりましたが歌人として群をぬき、やがて和泉守 和泉守橘道貞と結婚、和泉式部となりました。
百人一首のなか
あらざらむ この世のほかの
おもひでに
いまひとたびの あふこともかな
善光寺大本願寺百二十世一条智光尼公上人ご染筆のこの歌碑が銕焼地蔵堂前に建てられています
銕焼地蔵尊奉賛会 」