案内板
「 長野県天然記念物
笠取峠の松並木
この峠道は 近世五街道の一つ中山道 の笠取峠である。徳川政権は、関ヶ原の戦い後の慶長六年(1601)東海道に伝馬制を実施し、翌七年には中山道などにも着手した。
慶長九年幕府は諸街道の改修、一里塚の設置とともに街道筋に松や杉を植えて並木をつくらせた。
笠取峠は雁取峠とも呼ばれ、慶長二年(1597)に設けられた芦田宿 と、およそ一里半(約六㌖)の距離を隔てた長窪宿 の間にある。
笠取峠の松並木は、小諸藩が幕府から下付された数百本の赤松を、近隣の村人とともに峠道約十五町(約一・六㌖)にわたって植樹し、その後も補植を行い保護・管理を続けてきた。歌川広重 の「木曽街道六十九次」芦田宿に描かれている中山道の名所である。
長い歳月の間、風雪に傷み枯れ、大正十三年(1924)長野県の調査によると二百二十九本があった。昭和四十九年(1974)長野県天然記念物に指定された。
現在は、百十本である。立科町が笠取峠の旧街道の整備と松並木の保護に努め、往時の姿をとどめている。