紗蘭広夢の俳句と街道歩き旅

二度目の東海道五十三次歩きと二度目の中山道六十九次歩きのブログを書いています。今、中断していますが、俳句も書いています。

萬歳 皇代能豊兆

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銅板碑
「 萬歳 皇代能豊兆

文久元年(一八六一)仁孝天皇の皇女和宮は 第十四代将軍徳川家茂(いえもち)へ嫁ぐため、中山道を通って江戸へ下った。
京都発文久元年十月二十日、江戸着同年十一月十五日。婚儀は翌文久二年二月十一日であった。
これは、ペリー来航以後、日々失墜していく幕府の権威回復と、反幕運動(尊皇攘夷)に対するけん制、いわゆる公武合体運動の犠牲であったといわれる。
京都から江戸へは、京都方一万人・江戸方一万五千人 計二万五千人の大行列であった。この他警備の諸藩士、馬士(まし)等数万人にのぼった。このため、多数の人馬が信州一円から徴発され、大きな負担がかかった。和宮が輿の中からこの松並木を見て通ったのは文久元年十一月八日であった。

平成五年三月
立科町教育委員会