欄間の透かし彫り 「ワゴコロ」より
↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓
欄間(らんま)とは、和室の障子やふすまなどをすえつけるために、上にわたしてある横木の部分である、天井の鴨居かもいとの開口部にはめこまれた建具のことです。
主に季節の風を運び、光を通すために設けられました。
格子や透かし彫りの板などが用いられることが多く、その美しい装いは和風建築の真骨頂ともいえます。
↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑
組子細工 tanihata.co.jpより
↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓
組子とは、簡単にいうと釘を使わずに木を組み付ける技術のことをいいます。細くひき割った木に溝・穴・ホゾ加工を施しカンナやノコギリ、ノミ等で調節しながら1本1本組付けしていきます。遠く飛鳥時代から長い年月をかけて磨きぬかれた木工技術「組子」。 釘を使用しないで木を組み付ける繊細なこの技術は、職人たちの伝統を守る心と情熱により、何世代にもわたって現代まで引き継がれてきました。
↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑
書院造り wikipediaより
↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓
書院造(しょいんづくり)は、日本の室町時代から近世初頭にかけて成立した住宅の様式である。寝殿を中心とした寝殿造に対して、書院を建物の中心にした武家住宅の形式のことで、書院とは書斎を兼ねた居間の中国風の呼称である[1]。その後の和風住宅は、書院造の強い影響を受けている。かつては「武家造」とも呼ばれたように、中世以降、武士の住居が発展する中で生まれた。
↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑
上段の間 四万温泉積善館ホームページより
↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓
身分の高い人の宿泊用の部屋
前回の「温泉と歴史」でご紹介した積善館本館1階の「馬つなぎの柱」の少し奥に、「上段の間(じょうだんのま)」と言われる部屋があります。
古くは「オジョーダン」とも呼ばれていました。
畳8畳敷きの広さで立派な床の間が付いた部屋です。
また天井も他の部屋から比べるとずっと高くその他、扇型の欄間や細かい組子細工の障子などが設えてあり部屋の造作も一段と凝ったものになっています。
何よりもの他の部屋と違うのは、この部屋の床が他よりも10cm(3寸5分)ほど高く作られているところです。
それが、この部屋を「上段の間」と呼ぶ理由です。
床が高いという事は、身分の高い人の宿泊用の部屋ということですね。
上毛歴史建築研究所の桑原稔氏は、積善館の「上段の間」を次の様に紹介しています。
「当家は、江戸時代初期の頃から当地で名主役を勤めた由緒ある家柄である。
『オジョーダン(上段の間)』は名主の家に限って設けることを許された客室であり、
床を一段高くしており、代官及び手代(代官の下役の地方役人)の休憩・宿泊用の室であった。」
↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑
こちらは四万温泉の積善館の上段の間の説明ですが、分かりやすいのでこちらを引用しました。
東海道や中山道の本陣には、大名や公家、天皇や皇女和宮が泊まった、または休憩されたという上段の間が今も残っていて公開されているところもあり、私もかなり何ヵ所か見学させていただきました。
小姓部屋
小姓とは wikipediaより
↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓
小姓(こしょう)とは、武士の職の一つで、武将の身辺に仕え、諸々の雑用を請け負う。「扈従」に由来し、「小性」とも表記される。
↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑
「扈従」とは コトバンクより
↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓
扈従 (こしょう)
(「扈」はつきそう意、「しょう」は「従」の漢音) 貴人につき従うこと。また、その人。こじゅう。こそう。
↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑