一里塚 は、信長の時代に設けられ、徳川家康・秀忠が引きついで慶長九年(1604)に完成した。(慶長見聞集)
中国で路の側に一里毎に土を盛り、その崩れ去るのを防いでエンジュの木を植え旅人に木陰をあたえたという例にならって榎が植えられたと云われている。
また、三代将軍家光が「一里塚には「余の木」を植えよ、」と言ったことから老臣が榎と聞きちがえて国中の塚に植えたという(現代教養文庫中山道より)が、ともあれこの頃一里を三十六町と決定され、五畿七道残るとこなく一里塚が築かれたとされている。
天保年間の、茂田井村差出帳には、当時この両側に土塚があり、榎の根本が残っていたとある。