紗蘭広夢の俳句と街道歩き旅

二度目の東海道五十三次歩きと二度目の中山道六十九次歩きのブログを書いています。今、中断していますが、俳句も書いています。

八幡宿 八幡神社

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案内板
八幡神社 随神門

構造 三間一戸楼門 組物三手先腰三手先
中備(なかぞなえ)蟇股(かえるまた)間斗束(けんとづか)軒繁垂木(のきしげたるき)
屋根入母屋造(いりもやづくり)
妻虹梁大瓶束(つまこうりょうたいへいづか) 本瓦葺(ほんぎわらぶき)
楼門とは楼造り(ろうづくり)の門のことで二階建の門を言う。一階と二階の境は親柱に擬宝珠(ぎぼしゅ)をつけた高欄(こうらん)の縁側を巡らしている。頭貫木鼻(かしらすききばな)の唐獅子、各所に施されている彫刻等 江戸時代末の特色を示す門の両脇の間(ま)には衣冠束帯(いかんそくたい)に剣と弓矢を持った武官神像(ぶかんしんぞう)の随神をおく。

建立 天保十四年(一八四三)六月、今から百五十年前 小諸藩主牧野遠江守康哉が大願主(だいがんしゅ)となり数百本の材木を、また欅材(けやきざい)は川西地方村々の寄進により造営された。
楼門高く懸っている(かかっている)額は明治時代奉納されたもので戈(ほこ)を止(と)めて武を為す(ぶをなす)と横書きをされている。 」