紗蘭広夢の俳句と街道歩き旅

二度目の東海道五十三次歩きと二度目の中山道六十九次歩きのブログを書いています。今、中断していますが、俳句も書いています。

川久保橋

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案内板
「 川久保橋

碓氷関所時代、現在地霧積橋よりやや上流に川久保橋が架けられていた。この橋は、正しくは碓氷御関所橋と呼んで中仙道を結んでいたが、橋桁の低い土橋であったため増水期になると度々流失した。関所設立当初は軍事目的かを優先したからである。橋が流失すると川止めとなり、旅人や書状などの連絡は中断された。こりため、関所には、大綱一筋、麻綱一筋が常備されていて宿継ぎ御用綱として使われ書状箱を対岸に渡すことに使われた。細い麻縄を投げ渡して大綱を張り、大綱に竹輪を通して麻縄を操り、丁度ケーブルカーのようにして書状箱を渡したという。川止めとなっても増水の危険を冒して渡河する人もいた。なかでも参勤交代の大名行列は日限も予定されているので渡河を強行したという。大名の渡河に際しては、番頭も川原に罷り出て見届けた。 」