城彩 jyo-sai.comより
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高崎城跡の北側に、高崎城の移築書院がある長松寺があります。この書院は1730年頃、高崎城本丸の改築に伴い不要となった建物をこちらに移築したそうです。ここは、二代将軍秀忠の次男で三代将軍家光の実弟の徳川忠長が自刃した間と伝わります。
長松寺は1507年に臨済宗の嶽應元海が現在の末広町北部に創立しました。当寺はその後衰退してしまいますが、1624年に興禅寺の虎谷春喜が曹洞宗に改め現在の地に開山します。本堂、衆寮、山門、鐘楼、薬師堂(和田薬師)がある立派な寺でしたが、1726年に全焼してしまいます。現在の本堂は1789年に再建されたものです。
長松寺に入ると、本堂の入り口の上(お賽銭箱の上)には、風化して古そうな立派な天女が描かれていました。これが狩野探雲により描かれた、「向拝天井絵 天女」(高崎市市指定重要文化財)です
画像は城彩jyo-sai.comより
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