紗蘭広夢の俳句と街道歩き旅

二度目の東海道五十三次歩きと二度目の中山道六十九次歩きのブログを書いています。今、中断していますが、俳句も書いています。

傍示堂跡

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「彩の国 埼玉」より

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傍爾堂村(本庄市傍示堂)
ちょっと変わった地名である。
傍爾堂村から中山道は大きく南に道をとるが、ここから北西に分岐する街道は、上野国の前橋・沼田を通って越後方面へと達していた(五料道)。
傍示とは境界を示すことを意味し、地名の由来は、二つの街道の分岐点に仏堂を建立し、街道の傍示としたことに由来する。
前橋方面への分岐点であることから、この辺りには、茶屋が4軒ほどあり、飯・酒・菓子などを商っていた。
現在の傍示堂集落センターにある小さな御堂が傍示堂で、隣には天王祠が祀られている。
1615年の参勤交代の制度化により五街道が整備され、本庄も宿場町として発展したが、 それまでは深谷方面から来た大名などは、傍示堂村から本庄宿ではなく北西に分岐する街道を(現在の群馬県玉村町方向に)進んだらしい。
徳川時代之武蔵本庄」によると、「本庄には旅館の設備がなかったため、江戸参勤の大小名は傍示堂より五料村(現在の玉村町五料)に転じ、加賀藩前田家は上州川合(現在の玉村町川合)河岸に本陣(旅館)を設けていた云々」とある。

傍示堂(右側)

急 カーブを左に曲がり、元小山川の石橋を渡って右カーブを進むと国道17号に出る。
資料(中山道分間延絵図)によると、当時はこの辺に「御料傍示杭」があり、ここから「本庄宿」に入る。

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