紗蘭広夢の俳句と街道歩き旅

二度目の東海道五十三次歩きと二度目の中山道六十九次歩きのブログを書いています。今、中断していますが、俳句も書いています。

諏訪神社 御由緒

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案内板
「 第62回伊勢神宮式年遷宮記念
諏訪神社 御由緒

□御縁起(歴史)
正保二年(一六四五)の『本庄町外石高等領地図』(中原家蔵)に『滝瀬村ノ内堀田』と見え、更に『武蔵志』には、堀田は『中山道筋 滝瀬ノ新田別村ニアラス』とあり、古くは滝瀬村に属していたことがわかる。堀田は、前堀田と北堀田の二つの地区に分かれ、いずれも鎮守として諏訪神社を祀っている。当社は前堀田の方の諏訪神社で、神社を中心として西方の地域の小名を上(かみ)諏訪(通称は上)、東方の小名を下(しも)諏訪(通常は下)と呼んでいる。
社蔵の明治初年の『明細帳』によれば、往古甲斐の国士逸見儀左衛門は信濃国諏訪大社を崇敬していた。永緑十年(一五六七)のころにこの逸見家が没落した際、その一族が武蔵国に来て、掘ったの字下諏訪の地に土着し、同地に諏訪神社の分霊を勧請して一族の祈願所とした。以来武門の崇敬を集めたが、永い歳月を経て衰微してしまった。そこで寛延二年(一七四九)に前堀田の氏神として再興し、遷座祭を執行した。この時、逸見郷右衛門・粂原友之丞・荻野万兵衛・内田清兵衛・田沼四郎衛らが世話に当たったという。
明治初年の社格制定に際しては、古くから滝瀬村の鎮守であった滝瀬社(旧聖天社)が村社となり、当社は、無格社とされた。明治二十七年には、幣殿増築並びに本殿修繕を行った。

□御祭神と御神徳
・建御名方(たけみなかた)命・・・
五穀豊穣、厄除、海運

□御祭日
(以下略) 」