案内板
「 島護産泰神社
当社の創立年代は明らかではないが、旧榛沢郡内の開拓が、当社の加護により進められた為、郡内の各村の信仰が厚くなり、総鎮守といわれるようになったと伝えられている。この為に当社の再建及び修築等は、郡内各村からの寄付によりなされた。祭神は瓊瓊杵尊、木之花咲夜姫命という。当社を島護と称するのは、この地方が利根川のしばしばの氾濫により、ことに現在の深谷市北部に位置する南西島、北西島、大塚島、内が島、高島、矢島、血洗島、伊勢島 、横瀬、中瀬の地名をもつ地域(四瀬八島)は、常に被害を受けた為、当社をこれらの守護神として信仰したことによると伝えられている。また、当社は、安産の神として遠近より信仰者の参拝が多く、この際には、底の抜けた柄杓を奉納することでも有名である。四月一〇日の春祭には、里神楽が奉納される。
平成三年三月
埼玉県
岡部町 」