紗蘭広夢の俳句と街道歩き旅

二度目の東海道五十三次歩きと二度目の中山道六十九次歩きのブログを書いています。今、中断していますが、俳句も書いています。

深谷本陣跡 上段の間、次の間、入側

f:id:asiandream0804:20210328212800j:plain
f:id:asiandream0804:20210328212816j:plain

案内板
「 本陣
本陣は、脇本陣並びに旅籠とは違い、一般人は利用出来ず、即ち公儀の厳重な誓約を受け続けました。
中山道筋の貴人の通行の例としては年間、泊10件、休憩40件ほどで誠に少なく、為に本陣職の大半は、他にも主たる職業を持って居ました。飯島家は宝暦二年(一七五二)より明治三年迄、足かけ六代に亘って、已むなく本陣職を続けざるを得ませんでした。
上段の間(晩翠堂)次の間、入側(いりかわ)がこの奥に現存しております。

平成八年五月 深谷上杉顕彰会 第36号」



デジタル大辞典小学館アカデミーより

↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓

じょうだん‐の‐ま〔ジヤウダン‐〕【上段の間】 の解説
書院造りで、下段の間に続いて、框 (かまち) の高さだけ床を高くした座敷。主君が家臣と対面した所。上段。

↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑


実用日本語表現辞典

↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓

次の間 控えの間
読み方:ひかえのま

旧家や大名屋敷、ホテルや宴会場、現代の一般民家などにある部屋のうち、来客用の部屋、主の部屋、式場などといった主要な部屋に隣接している小さい部屋を意味する語。控えの間は一般的に、家の使用人が待機場所として使用したり、会の準備のために使用したりする。

↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑


三省堂 大辞林 第三版

↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓

いり かわ -かは 【入側】
座敷と濡れ縁との間の細長い通路。畳を敷いたものを縁座敷という。いるかわ。

↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑