紗蘭広夢の俳句と街道歩き旅

二度目の東海道五十三次歩きと二度目の中山道六十九次歩きのブログを書いています。今、中断していますが、俳句も書いています。

蘭渓堂碑

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案内板
「 蘭渓堂碑

鴻巣市指定歴史資料 昭和四十年六月十四日指定

蘭渓堂如水は本名を北岡仙左衛門俊之といい、文化十二年北岡遣左衛門の次男として生まれた。
幼少のころから学問を好み、書の道にすぐれ、一二歳で同輩に教え、文政十三年には十五歳にして早くも読み書きの道場を開いたという。
以後、四五年間にわたり書道教授として、鴻巣宿は勿論田間宮・箕田その他の 地区の子弟の指導にあたり、その数は一一五○名にものぼったという。
まさに当地の児童教育の第一人者であった。 明治六年の学制発布による公立小学校の開校に伴って補助教員として世話掛りの任についたが、病気のために翌七年一月に職を辞した。 明治八年七月六日逝去。享年六〇歳であった。法名教光西征清居士。北岡家墓地は、市内大間の久保寺にある。 多数の門弟たちが、郷土の子弟教育に生涯を尽くした如水翁の功績をたたえるため、明治十四年八月に筆塚として建立したのがこの蘭渓堂碑である。 この妙見山池元院境内建立されたのは、翁の住まいがあった町にちなんだためである。

平成二十四年二月
鴻巣市教育委員会