二度目の中山道22日目の4
2020年10月28日(水)の4
【土手の道へ】
13:25 国道41号線高架を潜りました。
13:26 分岐
13:27 虚空蔵堂
案内板
「 虚空蔵堂 と承久の乱 古戦場跡
Kokuzodo / Jokyu-no-Ran Kosenjo Ato (Site)
中山道を江戸から京へ向かうとき、太田宿の西の出口に虚空蔵堂はあります。
天明2年(1782)の『加茂郡太田村絵図 』には既に描かれており、当時から信仰の対象となっていました。ここには、京への道標があり、旅人たちの道案内となっていました。ここから段丘を下り、木曽川沿いに京を目指して西へ進みました。
また、承久3年(1221)に起こった『承久の乱』の木曽川合戦 では、後鳥羽上皇 率いる朝廷軍 と鎌倉幕府軍 が、木曽川を挟んで戦いました。このあたりが戦場の北端であったといわれています。(可児側が幕府軍・太田側が朝廷軍)
美濃加茂市商工観光課 」
13:29 坪内逍遙ゆかりのムクノキ
案内板
「 坪内逍遙 ゆかりのムクノキ
坪内逍遙(一八五九~一九三五)は安政六年、尾張藩太田代官所の役人であった平之進の十人兄妹の末子として生まれました。
その後、明治二年父の引退にともない、太田を離れた逍遥は、名古屋に移り住み風雅な中京文化 の感化をうけました。
十八才にして上京し、明治十六年東京大学を卒業すると、文学論『小説神髄 』や、小説『当世書生気質 』などを発刊し、明治新時代の先駆となりました。また、演劇・歌舞伎・児童劇・近代文学の指導と研究にあたり近代日本文学の基を築きました。
逍遙の明治四十二年からニ十年間にわたる『シェークスピヤ全集 』の完訳と刊行は代表的な偉業です。
大正八年には、夫婦そろって生まれ故郷を訪れ、このムクノキの根元で記念撮影をしました。逍遙六一才でした。
13:30頃から20分ほど土手道を歩きました。
13:35 トイレがありました。(使用はしませんでした。)
【風詠への道】
13:44 風詠への道
土手の塀に、いろいろな俳句が並んでいます。「風詠への道」と名づけられているようです。
「菜畑に花見かほなる雀かな 芭蕉翁」
「海士の屋は小海老もまじるいとど哉 芭蕉翁」
「蚊帳を出てまた障子あり夕月夜 丈草」
13:44 舟
13:45 兼松嘯風句碑
「 山間の雪の中ゆく筏かな」
案内板(石碑)
「 兼松嘯風略歴
通称甚蔵 加茂郡深田の人 承応三年 生家富家 俳諧を好み 澤露川に師事し、東美濃俳壇芭蕉門の老先輩たり。初句は
ころころと 臼引きあるく よさむ哉
が、元禄九年の <浮世の北> にある。
嘯風屋敷を訪れた俳人は蕉門の露川、丈草、支考、恕風、魯九等数知れず。宝永元年嘯風は東美濃の諸家の俳諧を選し、『國の華』十二巻の内第四『薮の花』を編輯した。その中に芭蕉翁の大針観音奉納前書きの句がある。翌二年、『袋角』を選したが、上梓及ばず、宝永三年五月七日没。如碩全無信士 深田の墓地に眠る。行年五十三才。その後息子水尺が魯九の助力を得て嘯風の追悼集を付して発刊した。
なつかしき お経の聲や 朧月 水尺の母
木曽川の 上から匂ふ 梅の花 水尺
一家揃って俳諧を良くし、水尺には『國曲集』の撰集がある。 」
13:53 一色大橋を右折
以前も目印となっていたホテルチョコレは健在でした。
【国道を歩いて坂祝へ】
13:55 国道21号線に出て、左折
坂祝(さかほぎ)町酒倉歩道橋
坂祝(さかほぎ)は難読地名のひとつです。
14:08 取組の一里塚跡
江戸日本橋から99里目。
14:11 左折して正面の階段を上りました。
【ロマンチック街道】
階段を上ると、素敵な土手の道。
14:15 築堤記念碑
日本ライン下りの川なので、この辺りの土手をロマンチック街道と呼びます。
土手の道は以前歩いた過酷な暑さを思い出し、懐かしいやら、何だか泣きたいような物悲しいような。
2枚目の絵手紙は、2016年の暑いときに、同じ土手道を歩いたときの絵です。
【土手はふかふかじゃなかったけれど】
土手道の真ん中は舗装で、その両脇はふかふかの草道でした。
今回、歩いてみたら、あまりふかふかじゃないのは秋だからかな、と思っていたら、刈ったばかりの草が山になっているところがあったので、ああ、刈り取ったばかりだからふかふかじゃないんだ、と思いました。
2016年の思い出を紹介します。
2016年8月2日(火)のブログより
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途中に行幸公園があり、対岸の鳩吹山はライン下り第一の佳景と言われているそうです。
水飲み場があったので、スポーツドリンクの残量を考慮して水を飲んでいこうと思いました。
炎天下、他に誰も飲まない水飲み場だから、最初は熱い水が出るぞ。少し出しておいて水温が少しは低くなってから飲もう、と、まずは詮をったその瞬間。
ドバッと温かい水が吹き上げ、日傘の内側に下から雨が吹き上げたみたいなズザッという音。
「うわっ、びっくり!」
一旦詮を閉じ、今度は少し加減してゆっくりゆっくり…
いやいや、またまたズザッと吹き出し、顔を直撃。
すごい水圧。
こりゃ何度やっても無理だ、と諦めました。
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14:16 行幸公園(思い出の公園)
“日本ラインの景を知らずして河川の美を語るべからず”と言われた如く、正にラインの名にそむかず奇勝千変万態、水、狂うかと見ればまた油の如く渦をなして流れ、軽舟飛沫をあびて下る。
対岸に迫るは鳩吹山、ここ坂祝(さかほぎ)河畔は、『ライン下り』第一の佳景。
特に『行幸巌』からの眺望は、古来幾多の名士嘆賞の地として名高い。 」
15分ほど土手を歩き、本日の中山道歩きはここまでで、坂祝駅に向かいました。
14:28 坂祝駅着
14:53 美濃太田駅着
シティホテル美濃加茂に泊まりました。
今日の宿は素泊まりですが、素泊まりでも朝、パンとコーヒーは付くことになっています。しかし、今はコロナの感染拡大予防でパン屋さんがお休みなんだそうで、6種類のパンからひとつと、4種類のジュースからひとつ選んで、それをいただけるということで、メープルキャラメルデニッシュとりんごジュースをいただきました。
今夜の夕飯と缶チューハイ、おやつ、明日の朝は早く出る予定なので、朝のパンと昼のパンと、計4個のパン(さっきパンをひとついただいたので、買ったのは3個)を買いに、Go To トラベルキャンペーンの地域共通クーポン券1000円を持って、使えるコンビニへ。
1000円分クーポン券があるとなると、パンもサラダも、いつもより高めのものを買っちゃいますね。
1665円のところ、1000円がクーポン券なので、なんと665円で3食!
今日は早めにチェックイン出来たので、絵を描いて、風呂に入って、ブログ用に写真を見ながら今日1日の流れをメモする作業をしました。
本日の歩数 35,076歩 21.396km
二度目の中山道23日目(坂祝駅から岐阜駅)に続く
https://asiandream0804.hatenablog.com/entry/2021/02/02/145314
二度目の中山道六十九次歩き目次1(日本橋から横川駅)
https://asiandream0804.hatenablog.com/entry/2021/03/17/220947
絵手紙1(日本橋から塩名田宿)
https://asiandream0804.hatenablog.com/entry/2021/03/18/101022
二度目の中山道六十九次歩き目次の目次
https://asiandream0804.hatenablog.com/entry/2021/03/21/084003