紗蘭広夢の俳句と街道歩き旅

二度目の東海道五十三次歩きと二度目の中山道六十九次歩きのブログを書いています。今、中断していますが、俳句も書いています。

二度目の中山道歩き21日目の4(大湫宿から細久手宿への道)

二度目の中山道21日目の4
2020年9月6日(日)の4


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中山道二つ岩】

11:11 中山道二つ岩の内、母衣(ほろ)岩
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11:14 中山道二つ岩の石碑
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石碑
中山道 二つ岩

 道の左に立てる大きなる石二つあり。一つを烏帽子石という。高さ二丈ばかり巾は三丈に余れり。また母衣(ほろ)石というは高さはひとしけれど巾は是に倍せり。いずれもその名の形に似て、石のひまひまに松その外の草木生いたり。まことに目を驚かす見ものなり。
           
大田南畝 壬戍紀行 」

その先、二つ岩のもう片方、烏帽子岩の写真も撮りたかったのですが、スマホがフリーズしてしまい、今日は距離も長くどんどん進まねばならないのて、烏帽子岩の撮影は諦めました。

大湫町コミュニティ推進協議会ホームページより、烏帽子岩の写真をお借りしました。
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【琵琶峠と八瀬沢一里塚】

11:39 琵琶峠石標
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11:47 八瀬沢一里塚跡
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案内板
「 歴史の道 中山道
琵琶峠の石畳と一里塚

大湫(おおくて)宿と細久手(ほそくて)宿の間は一里半(約六km)。琵琶(びわ)峠は、美濃十六宿で一番高い所にある峠(標高五五八m)で長さは約一km、古来より中山道の名所の一つです。
ここには日本一長いとされる石畳(全長約七三〇m)が敷かれ、峠開削時のノミ跡を残す岩や、峠頂上の馬頭様(ばとうさま)(宝暦十三年・一七六三)、東上り口の道標(文化十一年・一八一四)等の石造物があります。
なお、『八瀬沢(やせざわ)一里塚』はほぼ完全に残っており、江戸へ九十一里、京都へ四十三里を示す道標です。

瑞浪市

石畳
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12:00 琵琶峠西上り口石碑
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「 琵琶峠足の調子はあわれなり 

  ゆく春のうしろ姿や琵琶峠 

雲の峯加えつ四っの糸にしき 」 


12:06 北野坂の廻国塔
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廻国搭とは何か調べたら、大阪の六十六部廻国供養塔の説明が大阪市のホームページにあったので、引用します。

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六十六部廻国供養塔とは、六十六部行者と呼ばれる、諸国を遍歴する行者に結縁して建立された供養塔のことをいう。六十六部廻国巡礼とは、法華経を書写して全国の六十六カ国の霊場に1部ずつ納経して満願結縁する巡礼行をさし、この巡礼に従事する行者を六十六部行者、六部行者、廻国聖などと呼んだ。

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12:15 一つ屋茶屋跡
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12:19 天神辻の地蔵尊
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【弁財天の池】

12:32 弁財天の池
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案内板
「 弁財天の池

山丘上にありながらいつも水をたたえているこの池は、古くから旅人に愛されてきました。大田南畝の『壬戊紀行』にも『小さき池あり杜若(かきつばた)生いしげれり池の中に弁財天の宮あり』と記述され、小島には天保七年(1836)に再建された石祠があります。
東海自然歩道

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案内板
「 歴史の道 中山道
弁財天の池(べんざいてんのいけ)

享和二年(一八〇二)に太田南畝(蜀山人)が著した『壬戌紀行』に『左の方に小さき池あり。杜若(かきつばた)生ひしげれり。池の中に弁財天の宮あり。』との記述があります。常に水をたたえカキツバタジュンサイの自生地になっています。
弁財天は通常は琵琶を持った天女姿ですが、ここでは八臂(はっぴ)の立像が祀られています。
瑞浪市

13:43 瑞浪市天然記念物
南垣外(みなみがいと)ハナノキ自生地標柱
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瑞浪市ホームページより

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ハナノキはムクロジ科(旧分類ではカエデ科)に属し、主として湿地などに自生する雌雄異株の落葉樹です。4月の初め頃の春先に紅色の花を咲かせることから、「花の木」の意でこの名が付けられました。また、秋の紅葉が美しく、一段と鮮やかなことからハナカエデとも呼ばれています。
長野県・岐阜県・愛知県の県境付近の湿地帯に分布する日本の固有種で、希少樹種でもあることから、環境省岐阜県の絶滅危惧2類(絶滅の危険が増大している種)に指定されています。
瑞浪市では釜戸町、日吉町、稲津町、陶町で自生が確認されており、日吉町では南垣外の大洞池の南方、南垣外川の左岸(東側)に自生地が見られます。
現在216平方メートルが指定区域となっており、区域内には樹齢50年から60年以上と推測される6本のハナノキが自生しています。

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【奥之田一里塚(瑞浪一里塚)】

12:50 奥之田一里塚
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案内板
「 奥之田一里塚

江戸へ92里、京都へ42里という中山道の奥之田一里塚です。一里塚は道の両側に築かれ、高さ4m、直径12mあります。
この一里塚は、ほぼ、完全にもとの姿をとどめています。
東海自然歩道

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案内板
「 歴史の道 中山道
瑞浪一里塚

中山道の一里塚は、大湫宿が開宿した慶長九(一六〇四)年から整備が進められ、岐阜県内には三十一箇所の一里塚が築かれました。一里塚には榎や松が植えられ、松並木も整備されました。一里塚は、現在ではほとんど荒廃し、瑞浪市のように連続した四箇所が当時のまま残っている例は全国的にも稀です。

市内には、東から西へ順に、権現山(樫ノ木坂)一里塚、琵琶峠(八瀬沢)一里塚、奥之田一里塚、鴨之巣一里塚があり、高さ約三m、経一〇m程の大きさで、自然の地形をうまく利用して築かれています。なお、鴨之巣一里塚は、地形の制約を受け、塚は尾根沿いに東西一六m程離れています。 
瑞浪市

12:58 三国見晴し台と馬頭様
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案内板(手書き)
馬頭観音

佛教の六観音の1つ
宝馬が四方を駆けまわって敵を
威伏するごとく一切の諸魔を
くじき伏する威力を表わしたもの。
悪人怨家降伏のための修法の
本尊。民間では、馬の無病息災を祈る。
Thd Goddess of Mercy build in 1864.
元治元甲子6月建立 小田井宰兵衛

細久手長寿クラブ 2013 」

mercyは慈悲です。

二度目の中山道21日目の5(細久手宿)に続く
https://asiandream0804.hatenablog.com/entry/2021/01/27/213121


二度目の中山道六十九次歩き目次の目次
https://asiandream0804.hatenablog.com/entry/2021/03/21/084003