紗蘭広夢の俳句と街道歩き旅

二度目の東海道五十三次歩きと二度目の中山道六十九次歩きのブログを書いています。今、中断していますが、俳句も書いています。

二度目の中山道歩き16日目の1(中山道中間点から木曽福島宿への道)

二度目の中山道16日目の1
3月26日(木)の1


中山道中間点】

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5:00 起床

7:00 朝食

8:30 チェックアウト

木曽福島駅8:56発

原野駅 9:01着 9:02発
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9:07 明星岩公園とそこからの木曽駒ヶ岳南アルプス
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9:12 中山道中間点
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案内板
中山道中間点

ここは、中山道の中間点、江戸、京都双方
から六十七里ニ十人町(約二六六キロ)に
位置しています。
中山道は、東海道とともに江戸と京都を
結ぶ二大街道として幕府の重要路線で
あったことはいうまでもありません。
木曽路というと深山幽谷の難所と思われ
がちですが、木曽十一宿が中山道六十九
次の宿場として指定された慶長六年(一
六O1)ころからは整備も行き届き、和
官などの姫宮の通行や、日光弊使・茶壺
道中などの通行に利用されていました。
英泉、広重をはじめ多くの文人墨客が数
多くの名作を残していることからも変化
に富むこの街道は旅人の目を楽しませて
くれたに違いありません。
また、江戸時代に木曽一円を治めていた
代官山村氏は、中央との結びつきを深め、
代々向学の士を輩出して政治、経済はも
とより、文学にもその才を発揮し、木曽
をして中山道のいう東西文化の接点な
らしめたのです。

木曽町 」


9:17 斜め右に下ります。
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9:20 石作 駒石
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案内板
「 石作 駒石 (いしづくり くいし)

寛保元年(1741)山村代官家臣井沢喜兵衛の二男で生まれる。名前を貞(てい・貞一郎)字(あざな)は士幹(しかん)。後に姓を石作と改正し、号を駒石とした。18才の時父が亡くなり家を継ぎ、良由(たかよし・蘇門)御側役(おそばやく)となり、1才下の良由の学友となり、学問・武芸・兵法を学ぶ。
駒石は学才を認められ、尾張名古屋の山村屋敷勤めにし、伊勢の南宮大湫(なんぐうたいしゅう)のもとで学ぶことができた。
3年後木曽に帰り、良由の学問相手となり、家中の子弟を教え、多くの学者と交流を深め、漢詩で名を挙げた。
天明元年(1781)良由は九代代官となった時、一万両の借金があったため、財政建直しのため駒石を勘定役にあてた。駒石は『倹約・節約』に勤め 、商人には実情を話し、協力を求め、この努力で借金はなくなった。

天明の飢饉では、中山道の宿と往来する旅人たちの米を確保するため、良由と共に周囲の藩、尾張藩江戸幕府に訴え頼み木曽への米の搬入を確保し、木曽での酒造りを禁止して、食料にまわした。さらに開田、馬産、漆器、製薬等にも力を入れ、一人も餓死者を出さなかった。
良由は駒石を連れて木曽全体を巡視して現状を把握して、困っている人たちへの援助をした。
この改善は中山道を通った老中松平定信の知る所となり、幕府の老中に良由をと尾張藩へ伝えたところ、そのように立派な人なら尾張藩で働いてもらいたいと家老に迎えられた。
駒石は現在西方寺敷地内に書斎『翠山桜』(山村代官屋敷に移築保存)を建て、学問や詩作に励み、『翠山桜詩集』をつくった。
寛政9年(1795)駒石は57才で亡くなる。
遺言により、興善寺墓地の他に駒ヶ岳見える七笑にも墓が建てられた。
碑には学者『細井平洲』の碑文が刻まれている。 」

9:22 藪のような道を下りていきます。
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川沿いを行き、金網の橋を渡りました。
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舗装道に合流。
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9:33 栗本バス停
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連子格子の家
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薬師堂 嘉永五年(1852)建立の二十三夜塔 庚申塔など
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薬師堂内部
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薬師堂脇の石仏
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天満宮(手習神社)
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案内板
「 手習(てならい)天神

このお宮は、古くは山下天神と呼び、
木曽義仲を養育した中原兼遠(かねとお)は義仲の学問の神として
勧進したものと伝えられます。
源平盛衰記に義仲を木曽の山下に隠し、
養育したことが記されていますが、山下は上田の古名で、
付近には兼遠の屋敷跡、義仲の元服松等に史跡があり、
このお宮の古さを物語っています。
境内の『一位(イチイ)』の古木は、名木として知られ、中山道を往来する旅人は、必ずここに杖をとめ参詣したものといわれています。
このお宮の祭は、毎年八月二十四日、二十五日の両日で、境内の土俵では青少年の相撲大会が大正の初期より行われています。

木曽町 」

9:40 Y字路 右の下りへ
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中山道ウォーキングの方への注意書き
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中山道ウォーキングの方へ

この先、道がなくなっていて危険です!

中山道を歩かれる方は、下記地図の赤い破線ルートに従って迂回をお願いします。

※歩道の通行をお願いします! 」


出尻一里塚跡
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日野製薬ホームページより

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2013.03.09

出尻一里塚跡の石碑除幕式


国道19号の坂道を少し上がって行ったら、石碑があり、参列者と新聞記者が集まっていました。しばらくしたら、石碑に刻む銘文の最優秀作品を書いた小椋春奈さんとご家族の方たちが来ました。

10時から除幕式が始まり、主催者として挨拶をしたあと、小椋さんを含む参列者で除幕をしました。写真のように立派な石碑が披露されました。小椋さんもご家族も大変うれしそうでした。

石碑の裏面には銘文作者の小椋春奈さんの名前と 優秀作品を書いた西田光孝君と五月日香澄さんの名前が協力者として刻まれています。何百年も名前が残ることになるので、良い記念になったと思います。

一昨年から木曽街道にある22の一里塚跡のうち、10か所の一里塚跡に石碑を設置し、目印機能の復元をしてきましたが、出尻一里塚跡が最後です。木曽町教育委員会の渡辺さんが、所在地について綿密に調べてくれました。国道とJR中央線の間に一里塚があったようで、今は見る影もありませんが、渡辺さんは、せめて国道脇に設置したいと国土交通省と交渉し、旧中山道と国道の交わった国道脇に設置することができました。このように地元の方たちの協力により、石碑の設置ができて本当に良かったと思っています。

中山道をウォーキングして回る人たちにも良い目印になると思います。

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フジベ印刷の先を道標に従って下ります。草道のかなり旧な下り坂です。
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9:55 国道と合流
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蕎麦屋くるまやの先を斜め右へ
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経塚と芭蕉句碑
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「思い出す木曽や4月のさくら狩り」


10:07 木曽大橋の下を潜りました。
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国道に合流する前に振り返ると、桜橋と木曽大橋が見えました。
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国道に合流
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関山公園碑
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二度目の中山道16日目の2(木曽福島宿)に続く
https://asiandream0804.hatenablog.com/entry/2020/12/29/214207


二度目の中山道六十九次歩き目次の目次
https://asiandream0804.hatenablog.com/entry/2021/03/21/084003