紗蘭広夢の俳句と街道歩き旅

二度目の東海道五十三次歩きと二度目の中山道六十九次歩きのブログを書いています。今、中断していますが、俳句も書いています。

二度目の中山道歩き11日目の3(古往還~木落し坂~毒沢ミネラル療養泉)

二度目の中山道11日目の3
2020年7月31日(金)の3


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12:03 旧道入り口
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こんな石段を下ります。
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この辺りは、11年前に来たときは、通れないと思っていたら通れた場所です。

11年前のブログより

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2009.5.1.

西餅屋跡を出て国道に出た後、私の持っているガイド本では、旧道は荒れていて5センチぐらいしか足場のないところもあるから国道を歩くことを推奨していましたが、その後整備されたらしく、案内板に、西餅屋跡から先、直進せよ、との指示があり、旧道を行くと、一里塚の先、道が補修されていて、普通に歩けました。

ただし、皆さんのブログによると、雨の日はやはり危険だそうで、国道歩きを推奨していました。

往時も足場が悪く、馬が落ちて死ぬ事故が多かったそうで、馬頭観音や石仏がたくさんありました。

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道路下の防崩壁が苔むしてきれい。
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人の声が沢山聞こえると思ったら、工事の人達がランチしていました。

工事の人達が、

「この先、工事中なので、気をつけて通ってください」

と声を掛けてくれたので、

「ありがとうございます」

とお礼を言って通りました。


12:07 古往還の説明
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案内板
「 → 古往還と云われ江戸時代初期の道です。
道巾が取れず、危険で江戸時代後期には、左に迂回しましたが、川の蛇行で道が消えています。
これより先、崖道で崩落が見られます、足もと、落石にご注意下さい、安全確認を願いします。 」


峠より2.0km地点
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工事中の場所は、直してきれいな場所と、まだ直していなくて危ない箇所もありました。
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工事中の写真は歩きやすいところてます。危ないところは写真を撮る余裕はありませんでした。

後期の中山道は通れないと説明。
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苔がきれい。
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峠より2.2km地点
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小さな橋を渡りました。(写真には撮りませんでしたが、この先もう一本木の橋がありました)
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馬頭観音
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12:23 国道に出ました。

この先、中山道が確定していないので、国道を1.7km下って、浪人塚を目指してください、とのこと。
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扉峠トンネルからの距離が書いてあり、それを目安に歩きました。

標高1100m
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分岐を左へ
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中部北陸自然歩道
諏訪大社下社(秋宮) 7.1km
和田峠 4.9km
(車に注意して国道を)


国道に142号線のガード下を潜りました。
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12:49 史蹟 浪人塚(この裏五〇米先)
和田嶺砥澤合戦跡
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ここで少し休憩。11年前もここで休憩しました。そろそろ持参の飲み水が足りない。
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案内板
下諏訪町文化財 史跡 浪人塚

ここは浪人塚といい、今から一二〇年前元治元年(1864 年)十一月二〇日に、この一帯で水戸の浪士武田耕雲斎 たち千余人と松本、諏訪の連合軍千余人が戦った古戦場でもある。
主要武器はきわめて初歩の大砲十門くらいづつと猟銃少しだけで、あとは弓、槍刀が主要武器として使われた。半日戦に浪士軍に一〇余、松本勢に四、諏訪勢に六柱の戦死者があり、浪士たちは、戦没者をここに埋めていったが、高島藩は塚を造って祀った。碑には、当時水戸に照会して得た六柱だけ刻まれている。明治維新を前にして尊い人柱であった。

昭和四十六年三月五日 指定
下諏訪町教育委員会

峠より5.0km地点
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13:09 樋橋茶屋本陣跡
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案内板
「 樋橋村の今昔
 
樋橋村は江戸時代(寛永十一年)に誕生しました。中山道 和田峠の登り口に立場茶屋として栄え、茶屋本陣があり大名、公家、幕府役人や一般の旅人が休んでいきっました。文久元年(1861)十一月六日皇女和宮 様が御降嫁の時茶屋本陣でおやすみになられました。茶屋本陣の(御殿)を修築しお休みいただきましたが、その折ご心境を詠まれた和歌を本陣に残されたと伝えられています。この時のお通りは四万人ともいわれます。茶屋本陣跡は昭和四十五年に下諏訪町文化財に指定されました。
元治元年(1864)十一月二十日、水戸藩尊攘派天狗党と呼ばれた千余人の一行が上京の途次通行し、幕命でこれを阻止するために高島藩・松本藩連合軍とが戦った(和田山領合戦)、樋橋戦争 とも呼ばれた戦いがありました。
明治十五年(1882)から組長記録が残っていて、明治十五年の樋橋は下諏訪村二十一番組と称し戸数十四戸でした。明治二十二年までは組長は伍長総代と呼ばれていました明治十八年、待ちに待った下諏訪学校樋橋派出所新築されました。建築費は当時のお金で二十三円五十五銭、
生徒は十四人でした。
明治三十七年樋橋から立った小松源太郎氏が初めて町議会議員に当選
大正二年九月二十四日、大火が発生し九戸が全焼してしまいました。このとき当時十三才だった小松良人氏は萩倉に知らせに走り、萩倉消防組が消火に駆けつけてくれました。大正十二年には電灯線が配線されようやく電灯が灯りました。
昭和十四年に萩倉、樋橋、東俣が第六区となり、昭和十六年の人口は八十九人でした。昭和二十六年に小松茂平氏空き家を買収して樋橋公会所とし、二十九年には公衆電話が開通しました。三十二年に上水道が完成。
昭和三十年代半ばから児童数が減少し、昭和三十七年三月樋橋分教場は七十七年の歴史に幕を下ろしました。
その昔、樋橋村の人々は養蚕・炭焼き・稲作で生計を立てていましたが、時代も変わり現在では農業人口も減り、国道や周辺も大きく変わっています。
歴史ある公会所も老朽化が進みましましたので、地元企業の皆さんの協力をいただき下諏訪町からの建設事業補助金を受ける中で、村の皆さんの協力のもと昔の姿を残しつつ、憩いの場として立派に改修ができました。
樋橋は現在九戸二十五人が暮らしています。長い歴史が残るこの村をこれからも皆で力を合わせて守っていきたいと思います。
平成二十四年十一月吉日 」


延命地蔵尊堂跡
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「 村のはずれの
お地蔵さんは
いつも
にこにこ
見てごさる

平成十八年八月八日
主 小松良人
子供一同建之 」


標高1000m
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13:15 中山道は右の草の道へ
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草ぼうぼうで不安になります。
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13:19 木の橋があったので、この道でいいらしい、と少し安心しました。
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この辺りに樋橋の一里塚跡があるはずですが、見つけられませんでした。

中山道の標識があったので、ほっとしました。
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13:39 やっと自動販売機があり、120円で水を買いました。
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峠より7.0km地点
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13:48 地下道で国道を渡りました。
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道祖神 四本の御柱で囲まれています。
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多分、個人のお宅の苔庭
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14:02 峠より8.0km地点
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14:02 疑似御柱(木落し坂)
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案内板
「 疑似御柱

この御柱は疑似御柱です
諏方大社・下諏訪観光協会のご協力を戴きまして御柱祭りにご神木として使用されます同じ樅の木を設置致しました
樹齢約百年の樅の大木です
地元有志で構成しております模擬御柱会は七年毎に御柱祭りが終了した後に模擬御柱を設置させて戴く奉仕と毎年模擬御柱の化粧直しの奉仕を行っております
諏訪大社
下諏訪観光協会
疑似御柱会 」


中部北陸自然歩道
諏訪大社下社(秋宮) 3.5km
和田峠 8.5km
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下り道
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句碑
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石仏石塔群
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芭蕉句碑
「ゆき散や穂屋のすすきの
刈残し 」
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14:14 中部北陸自然歩道
諏訪大社下社(秋宮)3.1km→
←8.9km 和田峠
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峠より9.0km地点
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14:23 石仏 新しいものかな?
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14:31 宮の湯入り口
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毒沢ミネラル療養泉宮の湯着
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今夜はここに泊まります。

ここが実家だという画家、武田健吉のミニ作品展を見ました。
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18:00 夕食
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本日の歩数 33,635歩 20.517km

明日、二度目の中山道12日目は、下諏訪宿まで山を下ります。
https://asiandream0804.hatenablog.com/entry/2020/06/26/201400


二度目の中山道六十九次歩き目次1(日本橋から横川駅)
https://asiandream0804.hatenablog.com/entry/2021/03/17/220947


絵手紙1(日本橋から塩名田宿)
https://asiandream0804.hatenablog.com/entry/2021/03/18/101022


二度目の中山道六十九次歩き目次の目次
https://asiandream0804.hatenablog.com/entry/2021/03/21/084003