紗蘭広夢の俳句と街道歩き旅

二度目の東海道五十三次歩きと二度目の中山道六十九次歩きのブログを書いています。今、中断していますが、俳句も書いています。

2度目の中山道六十九次歩き7日目の3(碓氷峠越え前半)

2度目の中山道7日目の3
4月4日(土)の3


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碓氷峠への登り口まで】

9:42 坂本八幡
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9:43 「その他の危険」の道路標識
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何が危険なのか不明です。

道路が大きく右へカーブする手前で左に入ります。
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9:44 分岐斜め左へ
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11年前のブログより

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建物が切れて寂しくなってきた辺り、国道が右にカーブする手前に、左に入っていく林道赤松線が旧中山道

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オフロードに入ってからは真っ直ぐ進むことは、実は何となく覚えていたのですが、一応地図を見直していたら、さっき私の前を歩いていた地元の方が農作業をし始めていて、

「真っ直ぐですよ」

と教えてくれました。

9:45 坂本浄水場
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【クリップを外せ!】

浄水場を左に見て、まっすぐ進みます。
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9:47 獣害対策用電気柵
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高圧電流が流れているそうで、クリップを外して通ってください、と書いてあるのですが、そもそもクリップってどれ?どうやって外すの?

戻って、さっき声をかけてくれた方に聞いてみるのが正解だとは思うのですが、
三本の線が通っていて、子どもの頃ゴム飛びの一種で、ごむに触れないように潜り抜けるという遊びがあったけれど、これ、一番下を潜り抜けられるはず。

失敗したら死ぬ?

いや、空身なら余裕でしょう。リュックとかウエストバッグがネックですから、ウエストバッグを外してリュックも下ろして、線の下を通して先に荷物を向こうへ移動させてから、帽子も先に送って、空身で潜り抜けました。

これ、失敗して電流受けて死んだら、バカな奴だとニュースになっちゃうなあ。

でも、余裕で潜り抜けられました。

暫くは気持ちよい道を進みます。
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【登り口】

突然急な上り。きつい、と思った頃に道路に出て、道路を渡ると、

9:52 碓氷小屋(碓氷峠登り口)
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碓氷峠登山口バス停です。
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そのすぐ左には、「中部北陸自然歩道『上州路碓氷峠のみち』」の案内板があります。中部北陸自然歩道は旧中山道峠の重なるところが多いのですが、全くイコールではなく、安政遠足のコースが 「中部北陸自然歩道『上州路碓氷峠のみち』」 に当たるそうです。

11年前のブログより

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急坂がいったん落ち着いた辺りが、堂峰番所跡。「安政遠足ゴールまで8.0km」という立て札。安中市が毎年5月第2日曜日に行っている、安政遠足の案内板です。昔の行事に倣い、鎧甲冑を着けて、安中市内から碓氷峠熊野神社まで走るそうです。歩くだけでもきつい山道を、よく走れるなあ、とびっくりします。

上りが続き、ところどころにロープが張られ、「危険注意」の札。

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【堂峰番所跡】

9:59 堂峰番所
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案内板
「 堂峰番所

 堂峰の見晴しのよい場所(坂本宿に向かって左側)の石垣の上に番所を構え、中山道をはさんで定附同心の住宅が二軒あった。関門は両方の谷がせまっている場所をさらに掘り切って道幅だけとした場所に設置された。現在でも門の土台石やその地形が石垣と共に残されている。」


11年前のブログより

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上り道が左に曲がっている正面に、ケルンが積んであり、その奥に縦すじの結晶の集合体みたいな岩肌が見えます。

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【柱状節理】

10:19 柱状節理(ちゅうじょうせつり)
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案内板
「 柱状節理

火成岩の冷却固結するとき、亀裂を生じ自然に四角または六角の柱状に割れたものである。 」


10:21 刎石坂(はねいしざか) 石仏石塔群
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案内板
「 刎石坂

刎石坂には多くの石造物があって、碓氷峠で一番の難所である。むかし芭蕉句碑もここにあったが、いまは坂本宿の上木戸に移されている。南無阿弥陀仏の碑、大日尊、馬頭観世音がある。ここを下った曲がり角に刎石溶岩の節理がよくわかる場所がある。 」

11年前のブログより

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刎石(はねいし)坂には、馬頭観音と大日尊がありました。坂本宿で見た芭蕉句碑も、昔はここにあったらしい。

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【上り地蔵下り地蔵】

10:29 上り地蔵 下り地蔵
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案内板
「 上り地蔵下り地蔵

十返舎一九が『たび人の身をこにはたくなんじょみち、石のうすいのとうげなりとて』と・・・
 その険阻な道は刎石坂である。刎石坂を登りつめたところに、この板碑のような地蔵があって旅人の安全を見つめていると ともに、幼児のすこやかな成長を見守っている。 」


11年前のブログより

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上りがずっと続き、上り地蔵下り地蔵と書かれた岩壁のところを巻き込んでいき、覗(のぞき)と呼ばれる、眼下に坂本宿を見下ろせる場所。その先に風穴がありました。

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10:31 馬頭観音
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【風穴】

10:33 風穴
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案内板
「 風穴

刎石溶岩のさけめから、水蒸気で湿った風が吹き出している穴が数ヵ所ある。」


落ち葉が思った以上に深いです。霜柱なのか、さくさくしていて、つるつるでもぐちゃぐちゃでもなく歩きやすい道です。


【弘法の井戸】


10:37 弘法の井戸
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案内板
「 弘法の井戸

諸国をまわっていた弘法大師が刎石茶屋に水がないので、ここに井戸を掘ればよいと教えたと伝えられている霊水である。 」


【刎石茶屋跡】


10:42 刎石(はねいし)茶屋跡
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案内板
「 刎石茶屋跡

ここに四軒の茶屋があった、
現在でも石垣や墓が残っている。 」


10:42 四軒茶屋跡
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案内板
「 四軒茶屋跡(よんけんぢゃやあと)

刎(はね)石山の頂上で昔こヽに四軒の茶屋があった屋敷跡である。今でも石垣が残っている。(力餅、わらび餅などが名物であった。) 」

10:43 杉木立の道
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【碓氷坂の関所跡】

10:44 碓氷坂の関所跡
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案内板
「 碓氷坂の関所跡

昌泰2年(八九九)碓氷の坂に関所を設けたといわれる場所と思われる。 」


11:01 中部北陸自然歩道道
←坂本宿 2.5 km →熊野神社6.4km
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中部北陸自然歩道道標の左奥にあずまやがありました。
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【堀切】

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11年前のブログより

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下り道になり、堀切りと呼ばれる、道の両脇が切れて、馬の背のように細くなっている所がありました。

その先、左に大きくカーブしていてロープが張られている場所は左が谷で、気を付けなければいけません。

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11:01 掘り切り
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案内板
「 掘り切り

 天正18年(1590)豊臣秀吉の小田原攻めで、北陸・信州軍を松井田城主大導寺駿河守が防戦しようとした場所で、道は狭く両側が掘り切られている。 」


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古い案内板
「 堀切

両側が深い谷で道が狭く、小田原勢の○将大道寺政繁(○城主)がこの道を掘って北国勢を防いだ古戦場跡である。 」

(○城主)は多分、松井田城主


【南向馬頭観世音、北向馬頭観世音】


11年前のブログより

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南向馬頭観音は小さいので見逃しやすい、とガイド本にありましたが、立て札の回りを随分探したけれど、見つけられませんでした。私が見つけられなかっただけなのか、実際、なかったのか。風化して崩れてしまったり、嵐などで流されてしまったり、時には、誰かに持ち去られてしまうこともあるそうです。

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この時私は南向観世音を見つけられなかったのですが、同時期に碓氷峠越えをした方が「南向観世音、ありましたよ。写真撮りましたよ」と写真を添えて、当時私が中山道歩きのトピックスを書いていたmixiのコミュニティにコメントしてくれました。

という訳で、今回は南向観世音を見逃さないように、小高いところをずっと見上げながら歩いていました。

11:04 南向馬頭観世音
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案内板
「 南向馬頭観世音

 この切り通しを南に出た途端に南側が絶壁となる。
 昔、この付近は山賊が出たところと言われ、この険しい場所をすぎると、左手が岩場となり、そこにまた馬頭観世音が道端にある。

 寛政三年十二月十九日 
坂本宿 施主七之助


11:04 北向馬頭観世音
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案内板
「 北向馬頭観世音

馬頭観世音のあるところは、危険な場所である。
 一里塚の入口から下ると、ここに馬頭観世音が岩の上に立っている。

 観世音菩薩
 文化十五年四月吉日  
 信州善光寺
 施主 内山庄左衛門 上田庄助
坂本世話人 三沢屋清助 」


11:08 一里塚跡
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案内板
「 一里塚

 座頭ころがしの坂を下ったところに、慶長以前の旧道(東山道)がある。ここから昔は登っていった。
 その途中に小山を切り開き『一里塚』がつくられている。 」

11年前のブログより

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緩い坂を上っていると、上から落ち葉の絨毯がそこだけ膨らんだような茶色のかたまりが下りてきました。

なんだろう、と見ていたら、オコジョでした。

オコジョは鈍いのか、人間に脅かされたことがないからか、私に向かって下りてきました。

1メートルぐらいまで接近すると、オコジョもさすがに私に気がつき、慌てて右手に逃げていきました。

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【座頭ころがし】

11:17 座頭ころがし
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案内板
「 座頭ころがし(釜場 かんば)

 急な坂道となり、岩や小石がごろごろしている。それから赤土となり、湿っているので、すべりやすい所である。 」

11年前のブログより

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急な坂を上りきると、「座頭ころがし」の立て札。赤土で滑りやすいらしい坂ですが、落ち葉の絨毯のおかげで、滑らず、膝にもやさしい。

朴葉と思われる大きな葉が沢山落ちていて、裏が白っぽく、まるで紙屑を散らしたみたいに見えました。

座頭ころがしの先で休憩しようと、座りやすい岩か木の根を求めて少し先まで進んだら廃車が見えて、なんだか怖いので、それ以上近づくのはやめて休憩しました。

廃車は窓ガラスが全部なくなって、ボロボロのシートが見えていましたが、何かが潜んでいるような気がしました。

小休憩を終えて廃車の脇を通り抜けましたが、その先、今までよりは平坦になったとはいえ、木があったり、道幅的にも車は通れそうにありません。

楳図かずおの「漂流教室」や、時空を越えたSFを思い出し、この車はこの山道を走ってきたわけではなく、タイムマシンみたいに突然ここに現れて捨てられたのではないか、と思いたくなるぐらい、走ってくるには無理のある場所でした。

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古い「座頭ころがし」の立て札。ここが安政遠足の給水所になっているようです。
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安政遠足(あんせいとおあし)」立札
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この辺りに以前は廃車が放置されていました。


【栗が原】

11: 28 栗が原
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この付近、とても気持ちがよいです。
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案内板
「 栗が原

 明治天皇御巡幸道路と中山道の別れる場所で、明治8年群馬県最初の『見回り方屯所』があった。これが交番の始まりである。 」

11:47 入道くぼ
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案内板
「 入道くぼ

山中茶屋の入口に線刻の馬頭観音がある。これから、まごめ坂といって赤土のだらだら下りの道となる。
 鳥が鳴き、林の美しさが感じられる。」


2度目の中山道7日目の4(碓氷峠越え後半)日目に続く
https://asiandream0804.hatenablog.com/entry/2020/05/28/154956


二度目の中山道六十九次歩き目次の目次
https://asiandream0804.hatenablog.com/entry/2021/03/21/084003