岡 朝子の俳句と街道歩き旅

Yahooブログで文章置き場にしていましたが、引っ越してきたので、その後の俳句もぼちぼち更新していきたいと思います。

2度目の中山道3日目の3(桶川宿)

2度目の中山道3日目の3
3月2日(月)の3

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10:44 庚申塔
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10:55 末日聖徒イエスキリスト教会
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10:56 桶川宿東(下)木戸跡
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桶川市ホームページより

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木戸跡(記念物・史跡)
桶川宿の町並みには、宿場への出入り口としての役割を果たす木戸が設けられていました。この木戸は宿場の両端に設けられており、京側(鴻巣宿方面)が「上の木戸」、江戸側(上尾宿側)が「下の木戸」と呼ばれました。

構造や高さなどは不明ですが、ここには木戸番がいて、明け六つ時に開門し、暮れ六つ時に閉門していました。

当時の桶川宿の延長は約1キロメートルあり、木戸は宿場の治安維持の一翼を担っていました。現在は桶川宿の絵図から上・下それぞれの木戸のあった場所を推定し、その付近に石碑を建てて古の記憶をとどめています。

(上の木戸跡の石碑については、当初建てられた場所からやや南の位置に移設されています。)

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10:59 武村旅館
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埼玉交通情報 Knetより

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中山道の宿場町であった桶川宿にあった旅籠の姿を今にとどめる。
 江戸時代の間取りが今なお残されている。国登録有形文化財に指定。
 現在この建物には宿泊できないが、隣接してビジネスホテルがある。

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11:04 蔵造りの商家(島村家住宅土蔵お助け蔵)
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埼玉交通情報Knetより

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天保七年(1836)に建立された県内でも珍しい三階建ての蔵。
 国登録有形文化財に指定。
 天保の大飢饉に苦しむ人々に仕事を与えるために建立されたため
 「お助け蔵」ともいわれている。
 毎月第一土曜の午後には内部が一般公開され
 太い梁や渋沢栄一謹書の勅語享保人形などを見ることができる。(見学料100円★)

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11:05 小林木材工業(旧旅籠)
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文化遺産オンラインより

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小林家住宅主屋

登録有形文化財(建造物)
中山道桶川宿にある。もと旅籠の建物を,材木商が幕末より店舗に用いてきた。切妻造,桟瓦葺,平入の2階建で,正面に下屋庇を設ける。2階の軒は出桁造で,2階開口部は横一杯に繊細な格子を建て込む。街路に面して建ち,かつての宿場の面影を伝えている。

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皇女和宮ご宿泊の旅籠だそうです。

11:08 中山道宿場館
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桶川市観光協会ホームページより

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中山道宿場館ってこんなとこ!

桶川市の宿場情報や市内の史跡・観光情報のご案内は勿論。

中山道ってどんなところ?
中山道をはじめて巡る。はじめて旅するんだけど・・・

という方も大歓迎!!
中山道を知り尽された方、中山道の色々な情報を知りたい方、旅のご休憩に利用されたい方、お気軽にお立ち寄りください。

埼玉県内の宿場紹介ビデオもソファーでくつろぎながらご覧下さい。

旅の貴重な情報やこんな事、あんな事、旅の土産話お待ちしています。

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11年前のブログより

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歩く道々、うどん屋が多い、と思いました。

桶川のお休み処(観光案内所)で、「あっ、その本を持って歩いているんですか」と言われました。ここに、同じ、日殿言成著のガイド本が上中下三巻並べて展示してありました。

桶川の名物は、紅花です。また、ジャンボすいかの重さを競う品評会も夏にはやっているそうです。

お休み処のすぐ近くの本陣遺構を見ることが出来るか聞いてみたら、いつもなら裏から少しは見えるけれど、今は近くに選挙事務所があるため見られない、とのこと。残念。

英泉の「岐阻街道桶川宿曠原の景」の三色摺り版画体験もやりました。

長女が、「この辺は、うどんが名物なんですか?」と聞いたところ、小麦がとれたので、うどん屋が多く、中には太く
て固くて顎が痛くなるようなうどん屋もあるとか。

その話を聞いたので、桶川でうどん屋に入り、長女は宿場うどん、私はけんちんうどんを食べました。

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11年前、長女と立ち寄った思い出の場所ですが、「3/1〜26休館」と貼り紙があり、がっかりしました。でも、中に人がいる気配だし、前に自転車が止めてあるし、やっているような雰囲気もあるのですが・・・
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後で撮った写真をよく見てみたら、休みなのは「べに花ふるさと館」で、どうやら交流館はやっていたらしいのです。

この、現在休館中の「べに花ふるさと館」は、多分11年前にうどんを食べた場所だと思います。
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案内書き
「 『桶川宿』
桶川宿の町並みの長さ
約九町半(一キロメートル)

桶川宿は、日本橋から十里余り、江戸から六番目の宿として開かれました。健脚であった江戸時代の人々のほぼ一日の行程にあたります。
中山道は、徳川家康が一五九〇年江戸に本拠を置いた後、五街道の一つとして整備が進められました。
三大将軍家光によって、参勤交代の制度が確立した一六三五年ころには、ここ『桶川宿』はすでに成立していたと考えられます。
宿場の開設当初に近い一六三七年に五十八軒であった宿場の戸数は、紅花が取引されるようになった一八〇〇年には二四七軒に達し、桶川宿も『町』としての姿を示すようになったようです。
その後、桶川宿は、『中山道もの』といわれた麦や紅花の集散地として栄え、幕末に近い一八四〇年ころには、家数三四七軒に達しています。中山道桶川宿は、明治に至り、一八八五年の高崎線桶川駅の開業とともに、宿場としての役割を終えますが、以降近代をとおして、埼玉県中央部の麦の集散地としての繁栄は続きます。 」

本陣跡は今回も見そびれましたが、町に掲げられていた漫画マッブに写真が載っていました。
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そのアップがこちら
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2度目の中山道3日目の4(鴻巣宿前半)に続く
https://asiandream0804.hatenablog.com/entry/2020/04/03/124609