岡 朝子の俳句と街道歩き旅

Yahooブログで文章置き場にしていましたが、引っ越してきたので、その後の俳句もぼちぼち更新していきたいと思います。

大磯宿

2度目の東海道3日目の3

3月24日(日)の3

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茅葺き屋根の旧家】

9:33 茅葺き屋根の旧家。
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写真の歩行者用信号の裏に、屋根が見えています。

茅葺き屋根の旧家の格子。
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道の反対側からの方がよく見えます。
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道の反対側から撮った写真は、2008年に来た時に撮ったものです。

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【高来神社】

9:37 高来神社。
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今回は鳥居前からの写真しか撮らずに通過。

2008年には境内まで入りました。

こちらの写真はその時撮ったもの。
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その時のブログにはこう書いています。

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右側に高来(たかく)神社がありました。境内にあった、力石と、風化しかけて読みづらくなっている石碑が印象的でした。石碑には「大磯八景其一 高来寺の晩鐘 云々」とありました。

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大磯町HPより

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「高来神社(高麗神社) ・ 高麗山

更新日:2016年6月22日

江戸時代には大名が下馬して参詣。
家康の神影に導かれ鳥居を潜れば自然神秘に打たれる感覚が…。

高来神社(高麗神社)
徳川家康の神影である東照宮が併せ祀られ、諸大名は参勤交代の折に馬を下りて参詣した神社です。

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カッコ内に高麗神社とありますが、高来神社は「たかく神社」と読みます。


【虚空蔵堂】


9:39 虚空蔵堂。
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今回撮った虚空蔵堂の説明板
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2008年に撮った説明板。
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説明板には、こう書いてあります。

「 虚空蔵と熊野権現を祀ったお堂があり(現存)、ここに下馬標が立っていた。 大名行列もここで下馬し、東照権現の併祀された高麗寺に最敬礼をして静かに寺領内を通った。」


【化粧井戸と虎御前】


化粧坂交差点で、旧東海道は右斜めの道に入ります。

そのあたりが化粧坂。私は鎌倉に化粧坂(けわいざか)切通があるため、ここも「けわいざか」かと思ったら、ここは「けしょうざか」でした。

9:45 化粧井戸
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実は今回撮った化粧井戸の写真は、後ろにブルーシートが張ってあったり、井戸の後ろのフェンスに傘が干してあったり、絵にならないので、写真は2008年に撮った写真です。

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化粧井戸

神奈川県ホームページより

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化粧坂の途中に、虎女の伝説の伝わる「化粧井戸」が残されています。

鎌倉時代の曽我十郎・五郎の兄弟による父の敵討ちの様子を描き、日本三大敵討ちとしても知られる『曽我物語』。そのヒロインである虎女は、主人公の曽我十郎の恋人として登場し、兄弟の死後、ふたりを供養する女性として描かれています。

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虎御前 wikipediaより

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虎御前(とらごぜん、安元元年(1175年) - ?)は、鎌倉時代初期の遊女。曾我祐成の妾。お虎さん、虎女(とらじょ)とも呼ばれる。富士の巻狩りの際に起こった曾我兄弟の仇討ちを描いた『曽我物語』で、この物語を色づけ深みを持たせる役割をしている。『吾妻鏡』にも出てくることから実在した女性とされる。 江戸期に制作された多数の曾我物にも登場し、虎御前の名は広く知られることとなった。

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化粧坂の一里塚跡】

9:48 化粧坂の一里塚
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こちらの写真は2008年に撮った写真です。
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説明板によると、日本橋から16里。

高さ3メートルで、塚上には、海側に榎、山側にせんだんを植えていたそうです。


化粧坂の夜雨】


9:51 化粧坂の夜雨の碑
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説明板にはこう書いてあります。

『雨の夜は静けかりけり化粧坂松の雫の音ばかりして

大磯八景は、明治40年頃、大磯町第5代町長宮代健吉が大磯の名所八景を選んで絵葉書を出版したのが始まりである。その後、昭和12年に大磯小学校第2代校長朝倉敬之が自作の歌を刻んだ記念碑をそれぞれ八景の位置に建立した。現在は「小淘綾の晴嵐」を除く、「高麗寺の晩鐘」「花水橋の夕照」「唐ヶ原の落雁」「化粧坂の夜雨」「鴫立沢の秋月」「照ヶ崎の帰帆」「富士山の暮雪」の7基が残っている。』

こちらの写真が、朝倉敬之の歌碑。
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こちらは広重の大磯。夜雨の絵ですね。
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【大磯宿江戸方見付と北組問屋場跡】


9:55 大磯江戸見付
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10:04 大磯北組問屋場史跡。
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こちらの写真は、大磯駅北組問屋場史跡の看板の左側の絵を拡大しました。
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【小島本陣跡】

10:05 小島本陣跡
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こちらは、2008年に撮った写真です。
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今回撮った写真は素敵な建物ですが、こちらはそば処古伊勢屋 だったのですが、残念ながら閉店 してしまったそうです。

この先に、やはり由緒ある建物だと思って撮った、こちらの写真は、老舗饅頭屋 杵新 です。
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【海水浴場発祥の地】


10:11 南組問屋場史跡
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ほぼ同じ場所に、新島譲終焉の地碑があります。温暖な気候の大磯で病気療養中だったそうです。

そのすぐ先、左側に、史跡照ヶ崎海水浴場発祥の地碑があります。
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10:21 LAWSONで休憩。トイレを借りて、ティラミスを食べました。
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【湘南発祥の地】


10:25 高札場跡。
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10:26 湘南発祥の地碑。
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こちらの写真は、2008年に撮ったものです。
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【鴫立庵】

10:27 鴫立庵
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こちらの写真は、2008年9月30日に撮った写真です。
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今回は中には入りませんでした。

大磯町HPより

「《 心なき身にもあはれは知られけり鴫立沢の秋の夕暮》

平安末期の歌人西行法師が大磯あたりの海岸を吟遊して詠んだといわれている歌です。

江戸時代初期の 1664 年に小田原の崇雪(そうせつ)という人物が、西行のこの歌にちなみ、昔の沢らしい面影を残す景色の良いこの場所に鴫立沢の標石を建てました。
そして石仏の五智如来像(釈迦・阿弥陀・大日・阿しゅく・宝生の五仏)をこの地に運び草庵を結んだのが始まりです。
その後、紀行家と知られ、俳諧師としても有名であった大淀三千風(おおよどみちかぜ)が鴫立庵主第一世として入庵して以来、京都の落柿舎、滋賀の無名庵と並び日本三大俳諧道場として、現在第二十二世 鍵和田庵主へと続いています。」

2008年9月30日に見学した時にブログ用に書いたものがこちら。

『鴫立庵は、崇雪が庵を結んで以来、代々俳諧道場だったようで、たくさんの句碑がありました。崇雪が西行の筆跡を真似たという「鴫立沢」の碑を見ましたが、その碑の裏に「著蓋湘南清絶地」とあることから、湘南という呼び名が生まれたと言われているそうです。

虎御前の歌碑もありました。小さな茶室もありましたが、中は見られませんでした。茶室の脇に石のつくばいがあり、「蹲踞(つくばい)」と書いてありました。』

当時は入場料は100円でしたが、今は300円です。

今日は晴天ですが、10年前は雨で、靴を脱いで休みたかったのですが、上がることはできず、見るだけの見学でした。

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【松並木】

10:34 上方見付跡
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大磯は江戸側も上方側も、素敵な松並木が残っています。
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【滄浪閣跡 】

10:38 滄浪閣跡
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上の2枚の写真が今回撮ったもの。

こちらの写真は、2008年に撮った写真です。
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2008.9.30.に訪れたとき、ここは伊藤博文の別荘跡で、西武系の中華レストランである、という認識で来たのですが、来てみてびっくり。

昨年西武が撤退し、滄浪閣は営業終了したまま、放置されていました。

貼り紙(2008年9月30日当時)には、

プリンスホテルが契約切れで昨年撤退。大磯町が買い上げを申し入れていましたが、予算が合わず、大磯町が断念。大磯町としては、ここを買い取る事業主に、歴史的建造物として残してもらえるよう、お願いしたい、というようなことが書いてありました。

あれからどうなったのだろう。気にはなりつつも、半分忘れていましたが…


2017年8月30日のカナロコ サイトに、

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明治維新150年に合わせ
「滄浪閣」など大磯旧邸群一体整備へ 国、県、町検討
(話題 神奈川新聞  2017年08月30日 02:00 )

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という記事が出ていました。

詳細はこちら。

http://www.kanaloco.jp/article/entry-18098.html

また、明治150年記念事業として、2018年10月23日から2ヶ月間、滄浪閣など、三軒を一般公開したそうです。

カナロコによると、

「 一般公開では、旧大隈邸と旧陸奥邸の邸宅と庭園、旧伊藤邸の外観を見学することができるほか、明治期の立憲政治や各邸宅の人物ゆかりの資料展示も行われる。」

ということでした。

廃墟という感じではなく、手入れはされているみたいです。

右横奥は、有料駐車場として利用されているようにみえました。

歴史的建造物として、いい形で残っていってほしいものです。


【城山公園】

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写真のところで、国道から分かれて、旧東海道は斜め右に入ります。

10:59 大磯城山公園前
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神奈川県HPより

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『大磯城山公園(おおいそじょうやまこうえん)

県立大磯城山公園は、湘南地域の西、大磯町の海辺に位置する公園で、旧三井財閥本家の別荘地跡を利用した「旧三井別邸地区」と、宰相・吉田茂が暮らした邸宅を活用した「旧吉田茂邸地区」の二つの地区があります。
旧三井別邸地区には、三井財閥別荘跡地の宅地開発計画が契機となり1980年代に公園とすることが決まり、三井家の茶室として置かれていた国宝「如庵」にちなんで建てられた茶室「城山庵」、大磯町郷土資料館や横穴式古墳群などがあります。また、ゆるやかな丘陵につくられた展望台に登れば、相模湾をはじめ遠く富士、箱根、伊豆半島の山々などの雄大な自然が一望できます。

吉田茂邸地区は、宰相・吉田茂昭和19年頃から、その生涯を閉じる昭和42年まで過ごした邸宅を保全・活用するため、県立大磯城山公園の拡大区域となりました。平成21年3月に本邸は火災で焼失してしまいましたが、寄せられた寄付金を使って大磯町が再建し、平成29年4月1日に一般に公開する予定となっています。また、同地区には、吉田茂が存命の昭和41年ごろの景観を再現した、美しい日本庭園、バラ園のほか、サンフランシスコ講和条約を記念して建てられた兜門や、明治維新の元勲などを祭った七賢堂など、歴史的施設があります。

※「旧吉田茂邸」は、大磯町の施設で、入館には観覧料が必要となります。詳しくは、大磯町にご確認ください。
問い合わせ先:大磯町郷土資料館電話:0463-61-4700 』

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【城山公園付近からの富士山】

磯城山公園付近から見えた富士山です。
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【一里塚跡】

宝前院というお寺に馬頭観音があるとのことで、そもそもその寺が宝前院かどうかも分からず入ったお寺に、写真の六地蔵がありました。
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11:12 一里塚跡
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江戸から17里目だそうです。

こちらは道祖神
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国府祭問答石】

11:18 国府祭座問答の碑
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大磯町HPより

相模国府(こう)祭
更新日:2019年4月3日

日時 : 平成31年5月5日(日・祝)

(私注:2019年4月3日更新にしては、散財しない平成31年5月5日になってますね。)


場所 : 神揃山、馬場公園、六所神社

毎年、5月5日に開催されます。
国府祭は、相模の六社が集う祭りで、 神奈川 県の無形民俗文化財に指定されています。
はじまりは今から一千年以上前、地方に国、郡の制度が定められていた時代に、相模国の行政なる長、国司相模国の天下泰平と五穀豊穣を神々に祈願したものといわれています。 神揃山では、相模国の成立にあたり論争の模様を儀式化した神事である座問答が行われ、大矢場(現馬場公園)では、国司祭や三種類の舞が奉納されます。

相模国六社
一之宮  寒川神社( 寒川町 )

二之宮  川勾 ( かわわ ) 神社( 二宮町

三之宮  比々多 ( ひびた ) 神社( 伊勢原市

四之宮  前鳥 ( さきとり ) 神社( 平塚市

平塚八幡宮平塚市

総社六所神社( 大磯町)

【座問答】
大化の改新以前、今の 大磯町 より東に「相武 (さがむ)」、西に「磯長(しなが)」という国があり、その二つの国を合併して相模国が成立しました。
相武の国の最も大きな神社が寒川神社、磯長の国の最も大きな神社が川勾神社であったことから、両国の合併にあたり、どちらが一番大きな神社であるか決めることとなり、論争が起こりました。 この論争の模様が儀式化され神事となって伝わったのが座問答です。座問答では虎の皮を使い神事を進めます。虎の皮を上位に進めることは、当神社が相模国一番の神社、即ち一宮であるということを無言で表しており、又次にそれより上に押し進める事は、いやいや当神社こそ相模一宮であるという意味です。それを三度繰り返すことは、長い長い論争があったことを表しています。その仲裁として比々多神社の宮司様の「いづれ明年まで」という言葉で解決されるわけですが、いずれ明年が 1000 年以上続いてしまった事を考えると、勝・負のない神様らしい円満解決の模様であると思います。』

祭の写真は大磯町ホームページからお借りしました。
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六所神社

11:23 六所神社
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六所神社は先ほどの国府祭でも出てきた、相模の国総社です。

今回は鳥居だけしか見ませんでしたが、2008年9月30日には立ち寄っています。

その時の写真がこちら。
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その時ブログ用に書いたものがこちら。

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【 相模の国最古の神社】

暫く行くと、右に大きな鳥居があり、「相模の国最古の神社 六所神社」とあるので、見に行って見ました。六所神社は線路を潜って行った向こう側にあるのですが、その線路を潜る道が狭くて、車が何台か通るのを待ってから潜りました。参道の太い幹に幣が巡らされている大木が気になりました。


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本日の4【二宮から小田原へ】に続く
https://asiandream0804.hatenablog.com/entry/2019/10/14/175141