紗蘭広夢の俳句と街道歩き旅

二度目の東海道五十三次歩きと二度目の中山道六十九次歩きのブログを書いています。今、中断していますが、俳句も書いています。

2022-01-01から1ヶ月間の記事一覧

下野惣社(史跡)

案内板 「 下野惣社(史跡) 惣社明神、室の八嶋明神ともいう。下野惣社として知られたもので、祭政一致の時代、毎朝国司がおまいりした神であり、それは下野国中に分布する神々にお参りする代わりにこの神社に奉幣する。いわゆる惣社の神であった。 おおみ…

芭蕉と室の八嶋

案内板 「 芭蕉と室の八嶋松尾芭蕉は元禄2年 (1689) 『奥の細道』 への旅に出発した。 途中、 間々田 小山を 経て飯塚から左に折れて川を渡り室の八嶋 に立ち寄っている。その時詠んだというのが 『糸遊に結びつきたるけぶりかな」』の句である。むかし、この…

下野惣社(室の八島)

案内板 「 栃木市指定文化財(指定第38号) 下野惣社(室の八嶋) しもつけそうじゃ むろのやしま 昭和43年2月26日指定大神(おおみわ)神社は、今から1800年前、大和の大三輪(おおみわ)神社の分霊を奉祀し創立したと伝えられ、祭神は大物主命…

喜沢西の一里塚跡

案内板 「 日光街道西一里塚(史跡)一里塚は、一里(約四キロメートル)ごとのしるしとして、道路の両側に木を植えた塚をいう。 慶長四年(一六〇四)、徳川家康は、後のに大将軍秀忠に命じて、江戸日本橋を起点とし、東海道、東山道、北陸道に、エノキなどを植え…

間々田宿本陣跡

案内板 「 間々田宿本陣跡 本陣は江戸時代に主な街道に設けられた宿泊施設で、本来は幕府公用の大名・勅使・公家・門跡(僧)上級武士の便をはかるためのものでした。大名などが宿泊休けいする時は宿場や本陣の入口に「関札」を掲げ、誰が宿泊休けいしている…

間々田宿問屋場跡

案内板 「 間々田宿問屋場跡 間々田宿は、江戸時代に、五街道の一つ、日光街道(道中)の宿駅として栄えていました。江戸日本橋から11番目の宿駅(宿場)であり、江戸と日光の丁度中間に位置していました。 天保14年(1843)の記録によると当宿は 石高 944 …

間々田 日光道中中間点 逢の榎

案内板「 日光街道中間点 逢の榎 元和3年(1617)、徳川家康が日光に祀られると、日光街道は社参の道として整備されていき、21の宿が設けられました。 宇都宮までは奥州街道と重なっていたため、諸大名の参勤交代や物資の輸送、一般の旅人などにも利用された…

野木宿道標

案内板 「 町指定文化財 野木宿道標 本道標は、日光街道野木宿から下生井・白鳥・部屋・榎本を経由し、栃木へ向かう日光山近裏道と呼ばれた脇往還入口に建てられている。この道は、栃木で例幣使街道へ通じており、野木以南と日光方面とを短絡する道であった…

日光道中野木宿

案内板 「 日光道中野木宿 江戸時代の野木宿は、古河宿より25町20間(約2.8㎞)、間々田宿へ1里27町(約6.9㎞)にあった宿場町である。 野木宿の成立は、野木神社の周りに住居したのがはじまりで、その後文禄年中(1592~95)に街道筋へ出て、馬継ぎが開始さ…

日光街道古河宿道標

案内板 「 古河市指定文化財·有形民俗文化財 日光街道古河宿道標 昭和五十三年四月 四日指定寛永十三年(一六三六)に徳川家康をまつる日光東照宮が完成し、江戸と日光を結ぶ日光街道が整備された。その途中にある古河宿は、日光社参の旅人などの往来でひとき…

古河宿 高札場と本陣

案内板 「 高札場と本陣 日光道中の宿場町としての古河宿の中心は、もと二丁目と呼ばれたこの辺であった。文化四年(一八〇七)の古地図によると、高札場がこの場所にあり、斜め向かいに本陣と、問屋のうちの一軒があり、またその向かい側に脇本陣が二軒並んで…

雪の殿さま 土井利位

案内板 「 雪の殿さま 土井利位古河藩主、土井利位(どいとしつら 一七八九~一八四八)は、雪の結晶を二十年にわたり観察、わが国最初の自然科学者『雪華図説』を著作・発行した。 こんにちの雪氷学者は、この雪の殿さまの成果を、科学史上の画期と称賛として…

古河宿 御茶屋口と御成道

案内板 「御茶屋口と御成道 「御茶屋口」、旧日光街道に面するこの口の名前は、かってこの地に存在したとされる「御茶屋」に由来している。それは日光社参(にっこうしゃさん 徳川将軍が、神君徳川家康を祀る日光山へ参詣する行事のこと)に伴い将軍の休憩場…

古河公方 足利成氏

案内板 「 古河公方 足利成氏 古河の歴史を彩る重要人物は数あれど、日本の歴史上、最初に戦国時代の基を開けた初代『古河公方』、足利成氏(一三四三?~一四九三)ほどのビッグネームは見当たらないかもしれない。公方という言葉が将軍の真称であることを考…

松並木のある風景

案内板 「 松並木のある風景 日光街道江戸時代 ここには松並木が整然と続き、数ある 街道の中でも、もっとも美しい景観のひとつとして評 されていました。 高低差のない平らなこの区間、松並木の間から見 える白壁の古河城、そして富士山や筑波山、浅間山 や…

中田の松原

案内板 「中田の松原いま中田町となっている通りは、江戸時代 は、『中田の松原』と呼ばれたうちに入っていて、それは、これから北へ古河の原町入口までの約一里(約四キロ)余の間の呼び名であった。 この間には、中田新田の顕正寺(けんしょうじ)、茶屋新…

久喜市 小右衛門の一里塚

案内板 「久喜市指定文化財(史跡)一里塚指定年月日 平成四年七月三十日 所 在 地 久喜市小右衛門五一六慶長九年(一六〇四)江戸幕府は、大久保長安に 命じて東海道・中山道・日光道中・奥州道中・甲州道 中の五街道をはじめとして、主要街道に一里塚を築 かせ…