紗蘭広夢の俳句と街道歩き旅

二度目の東海道五十三次歩きと二度目の中山道六十九次歩きのブログを書いています。今、中断していますが、俳句も書いています。

2021-04-01から1ヶ月間の記事一覧

大宝村大字綣元標について

大宝村大字綣元標について 案内板 「 大宝村大字綣元標について元標(げんぴょう)は道路元標ともいい、道路路線の起点や終点などを表示する標識であります。 各市町村に一つづつ置かれるもので、石材その他の耐久性材料を用いて、里程や市町村名が記載され…

佛眼寺の歴史

佛眼寺の歴史 案内板 「 佛眼寺の歴史当佛眼寺は、もと大寶神社内にあって、古名大寶山神應院神宮寺と称して、天台宗に属していました。 應永十九年(西暦一四一二年)五月神運再建本尊は阿弥陀如来とし、佛眼寺と改称して七世珠阿上人となりました。 應永二…

綣のいわれ

綣のいわれ 案内板 「 綣のいわれここは栗東市綣です。 ┌────────┐ │綣の地名のいわれ│ └────────┘ ○綣には弥生時代から各時代の遺跡が多数あります。 また、近くには縄文時代の下鈎遺跡、弥生時代の伊勢遺跡があります。 綣には遺構、遺物より弥生時代後期…

芭蕉句碑の由来

芭蕉句碑の由来 案内板 「 芭蕉句碑の由来この句碑は、栗太郡内唯一の芭蕉の句碑です。 元禄三年(一六九○年)頃、関東、北陸方面に旅した帰りに綣村の立場に足をとどめ、旅の余韻と惜春の情を托して詠まれた句と云われています。『へそむらのまだ麦青し春の…

住蓮房母公墓の由来

住蓮房母公墓の由来 案内板 「 住蓮房母公墓の由来今より八百年前、鎌倉時代当時の仏教は『貴族仏教』ともいわれており、権力者や貴族たちのものでありました。 ところが法然上人は未法の時代にあって、すべての人は平等であり、『南無阿弥陀仏』に救われる…

今宿の一里塚跡

今宿の一里塚跡 案内板 「 滋賀県指定史跡 今宿一里塚 江戸時代今宿一里塚は五街道の一つである中山道の一里塚で、江戸日本橋から本県草津宿までに一二九ケ所あった一里塚の一二八番目にあたります。 一里塚は江戸幕府により慶長九(一六○四)年に整備された…

本像寺 石の長者 木内石亭の墓所

本像寺 石の長者 木内石亭の墓所 守山市ホームページより↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓本像寺 「石の長者」ゆかりの寺院旧中山道の町並みにある、静かなたたずまいの寺院・本像寺は木内石亭(1724-1808)にゆかりが深い場所で、石亭の墓や「奇石(珍しい鉱物や石などのこと)」があ…

樹下神社

樹下神社 shigatabi.comより↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓樹下神社(守山市)概要: 樹下神社は滋賀県守山市今宿町に鎮座してる神社です。樹下神社の創建は延久3年(1071)に勧請されたのが始まりとされます。寛永年間(1624~1645年)に社殿が再建、吉川の大洪水で大破し明治…

守山停車場線道(県道156号)道標

守山停車場線道(県道156号)道標 案内板 「 守山停車場線道(県道156号)道標 この道標は、明治45年(1912)に営業が開始されたJR守山駅(旧 日本国有鉄道 東海道線 守山駅)と、中山道(旧 国道)を結ぶ 守山で最初の道路『守山停車場線道路』の完成を祝って、江畑…

守山宿 土橋

土橋守山市観光物産協会ホームページより↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓土橋中山道の守山本宿と加宿(今宿)との境の吉川に架かっています。旧・栗太郡と旧・野洲郡の境界でもあり、川が木材運搬の運河だった江戸時代の古文書によると当時は長さ20間(36m)幅2間(3.6m)もあり…

かたたや

かたたや 案内板 「 中山道守山宿 門前茶屋 かたたや江戸時代後期の天保年間(一八三○~一八四三)の頃、中山道守山宿の東門院の門前に『堅田屋』という一軒の茶屋がありました。 当時の茶屋は、旅人の休憩の場であり、お茶や食事、お酒などを出していたそう…

中山道守山宿 案内板

中山道守山宿 案内板 案内板 「 中山道守山宿守山は古来、東山道の宿駅として栄えました。 江戸時代に入り、東山道から中山道に改められた。 寛永十九年(一六四二)守山宿は、徳川幕府より、中山道の正式宿場としての制札が下され認可されました。 中山道は…

東門院

東門院 JAPAN GEOGRAPHICより↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓東門院( とうもんいん ) (守山観音) 天台宗JR守山駅の北西約800m、旧中山道に面して建つ。平安時代の初期、今から千二百年前、最澄が延暦13年(794)に開いたとされる古い寺。桓武天皇の勅願により、最澄が鎮護国家…

守山宿 石造道標

案内板 「 石造道標 守山市指定文化財(民俗資料)本道標が建てられているこの地点は、かつて掟書などが掲げられた高札場の一角であった。 道標は、高さ約一.五五m、一辺三○cm角の四角柱の花崗岩製の石造品で、中山道側の側面には、『右 中山道 并 美濃…

守山宿 井戸跡

井戸跡 案内板 「 井戸跡この井戸は、天保四年(一八三三年)の宿場絵図に記載され、それ以前から存在したもので、他にもあったとされるが、現存しているのはこれ一基だけです。 守山宿は、野洲川の旧河道がつくった自然堤防という微高地のため、用水路がな…

守山宿本陣跡

守山宿本陣跡 案内板 「 本陣跡この場所は、本陣(小宮山九右衛門)があったと推定されている場所です。江戸時代には、問屋、脇本陣、本陣などの役割を果たしました。 文久元年(一八六一年)十月二十二日、十四代将軍家茂に降嫁される皇女和宮親子内親王が…

稲妻型屋敷割りの道

稲妻型屋敷割りの道 案内板 「 稲妻型屋敷割りの道中山道守山宿は街道筋の距離が、文化十四年の記録では一○五三間、内民家のある町並が五六九間という長い街村であった。 宿場の西端には市神社があり、その向かいには高札場があった。 この高札場から東に約…

中山道守山宿案内板

中山道守山宿案内板 案内板 「 中山道守山宿守山は古来、東山道の宿駅として栄えました。 江戸時代に入り、東山道から中山道に改められた。 寛永十九年(一六四二)守山宿は、徳川幕府より、中山道の正式宿場としての制札が下され認可されました。 中山道は…

うの家(中山道町家)

うの家(中山道町家) うの家ホームページより↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓宇野本家歴史 この建物は、元内閣総理大臣 宇野宗佑氏が生まれ育った家でした。 宇野家は、江戸時代「年寄」と言う役職を務め、「長左衛門」と名乗っていました。又宿場に馬や人足(労働力)を提供する事…

石部道道標

石部道道標 案内板 「 道標 この道標は守山宿の東端から枝分かれして、栗太郡葉山村や東海道に向かう人々に対して案内したものである。 文字は一面に『すぐ、いしべみち』、 片面に『高野郷新善光寺道』と刻まれている。 この場所に建てられた年代は残念なが…

帆柱観世音

帆柱観世音 案内板 「 帆柱観世音このお寺は、天台宗山門派比叡山正覚寺末寺の無檀家寺です。古来地元吉身や近在の人びとから『帆柱観音さん』と親しまれ、広く信仰されてきました。 ご本尊は十一面観世音菩薩立像(秘仏)です。 縁起によれば、傳教大師最澄…

吉身(吉水郷)

吉身(吉水郷) 案内板 「 吉身(吉水郷)この辺り一帯を『吉身』という。 古くは『吉水郷』と称し、ゆたかな森林ときれいな『水』に恵まれた天下の景勝地であった。 元暦元年(一一八四)九月に発表された『近江国注進風土記』には、当時の近江国景勝地八十個…

中山道高札場跡、稲妻形道路

中山道高札場跡、稲妻形道路 案内板 「 中山道高札場跡、稲妻形道路帆柱観音で名高い慈眼寺から北東側へ約一○○mの地点は、中山道から石部道(伊勢道)が分岐する。 遠見遮断のため道が屈曲する広い場所で、かつて徳川幕府が政策などを徹底させるための法度…

百足山十輪院

百足山十輪院 案内板 「 百足山十輪院中山道沿いの野洲川のほとりに、明暦三年(一六五七)徳允居士が開いたお堂。 徳允は立入氏の先祖で、お堂は立入家が代々守り伝えてきた。 元禄五年(一六九二)には看守覚源がおり、黄檗宗直指庵の末寺であった。 本尊…

十輪院境内の芭蕉句碑

十輪院境内の芭蕉句碑 案内板 「 芭蕉翁句碑 『野洲川や 身ハ安からぬ さらしうす 芭蕉翁』 野洲晒は、麻布を白くさらす『布晒』を専門に行っていた。 その一工程に、川の中にすえた臼に布を入れ、杵でつく作業がある。 冬に冷たい川に入って布をつくのは、…

背くらべ地蔵・阿弥陀如来立像

背くらべ地蔵・阿弥陀如来立像 案内板 「 背くらべ地蔵・阿弥陀如来立像 市指定文化財 背くらべ地蔵(右) 阿弥陀如来立像(左)この大小の石仏二体は鎌倉時代のもので、中山道を行き交う旅人の道中を護ったといわれています。 また、当時は乳児がよく死んだ…

中山道・外和木の標

中山道・外和木の標 案内板 「 中山道・外和木の標中山道は、東海道に対し東山道、あるいは中仙道と呼ばれた時期がありましたが、その歴史は古く、大化の改新以前から存在する重要な道であったことを示す文献が残されています。 ところが、新しい道路に役目…

甲山古墳

甲山古墳 案内板 「 甲山(かぶとやま)古墳 標高110mの丘陵先端につくられた6世紀前半の円墳で、直径約30m、高さ10mの規模をもち、内部には西に開口する横穴式石室があります。 整備前は、部屋割り(玄室)手前の天井石が落下しており、内部に大量の土砂が堆積…

地蔵菩薩(子安地蔵) 野洲市大字辻

地蔵菩薩(子安地蔵) 野洲市大字辻 案内板 「 地蔵菩薩(子安地蔵) 野洲市大字辻 往時この地方は比叡山三千坊に数えられた 数多くの巨刹(さつ)があり、その中に天台系嘉祥寺に安置され元亀の兵火をまぬがれたのがこの地蔵菩薩像である。極彩色等身大にして蓮台…

家棟川と隧道の歴史

家棟川と隧道の歴史 案内板 「 家棟川と隧道の歴史時の流れは、この場所に様々な変化をもたらしました。 ここには、現在とは異なり、川辺が周辺家屋の棟の高さまでにもなった『天井川』の家棟川が流れていました。そのため、ここを通行する人々や馬車は堤防…