紗蘭広夢の俳句と街道歩き旅

二度目の東海道五十三次歩きと二度目の中山道六十九次歩きのブログを書いています。今、中断していますが、俳句も書いています。

2021-03-01から1ヶ月間の記事一覧

上野国一社八幡宮鳥居

上野国一社八幡宮鳥居いつもNAVIより↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓社伝によると、天徳元年(957)、京都の石清水八幡宮から勧請。当社の正式名は「八幡宮」だが、「やわたの八幡さま」と呼ばれ、また、古くから一国一社の八幡宮として広く崇敬されていた。永承年間、源頼義…

天照皇大神宮・洪水紀念之碑・射水神

天照皇大神宮・洪水紀念之碑・射水神 案内板 「 天照皇大神宮・洪水祈念之碑・射水神・天照皇大神宮 全国に存在する天照大明神を祀る社で、建立年月などは不明です。祭は十月十四日に行われています。・洪水祈念之碑 明治四十三年(一九一〇)、大洪水のた め…

天照皇大神宮・洪水紀念之碑・射水神

天照皇大神宮・洪水紀念之碑・射水神 案内板 「 天照皇大神宮・洪水祈念之碑・射水神 ・天照皇大神宮 全国に存在する天照大明神を祀る社で、建立年月などは不明です。祭は十月十四日に行われています。・洪水祈念之碑 明治四十三年(一九一〇)、大洪水のた め…

浅間神社富士山

案内板 「 浅間神社富士山 中山道の一里塚の向い側に建つこの神社は、富士山を神格化した富士山信仰の神社で、静岡県富士宮市に鎮座する富士山本宮浅間神社が総本山の末社です。 浅間さまは、坂上田村麻呂が勧請したと伝えられることから、田村麻呂伝説が多…

金ヶ崎不動尊

案内板 「 金ヶ崎不動尊 この堂は、豊岡の茶屋本陣(東へ約300m)の飯野家が所有する広大な土地の鬼門(北東の方位)に当る、乗附村金ヶ崎に方位除けとして祀ったものですが、明治四十三年の大水害で流されてしまいました。そこで、飯野家所有の現在地に建て…

湯沢のお地蔵様

] 案内板 「 湯沢のお地蔵様 左の『お地蔵様』は、 宝暦三年(一七五三)に茶屋本陣の飯野家より建立され、風雨で損傷したため安政三年(一八五六)に再建されました。戦時中召集令状が発布されると、交付された者は必ず地蔵様をお参りし出征するのがこの地域の…

石神社

案内板 「 下豊岡の石神社 古代の人々は、大自然の力に対しその偉大さに恐怖心さえ抱き、これを鎮めるために神として仰ぎました。この神社は、石を神として崇拝することから起った石神信仰の一つです。 石神社は音で読むと「しゃくじん」であり、これが訛っ…

高崎だるま

高崎市ホームページより↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓そうだったんだ高崎だるま 鮮やかな赤色が印象的な、高崎市民になじみ深いだるま。本市では豊岡地域を中心に「高崎だるま」の伝統が受け継がれています。日本の吉祥である鶴と亀が顔に描かれていることから「縁起だるま」「…

美峰酒類レンガ倉庫

高崎新聞web newsより↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓ 美峰酒類株式会社レンガ倉庫山田文庫と隣接する赤レンガ倉庫は、美峰酒類株式会社の倉庫。外観はレンガ造りに見えるが、実際は柱・梁の構造で、外にレンガ壁を巡らせたもの。上部が段々に迫り出し、屋根を支える軒蛇腹を巡ら…

高崎 山田文庫

We love 群馬(群馬の情報サイト)より↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓ 2019年7月21日 《地域に愛される山田文庫は歴史的にも価値ある私設図書館だった》[歴史的価値の高い山田文庫とは]歴史的な建造物を高崎市民に引き継いでほしいという思いから、群馬県高崎市では歴史的景観建…

高崎 岡醤油醸造

ニホンイチしょうゆ 岡直三郎商店ホームページより↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓ご案内弊店は、天明七年(1787)近江商人 初代 岡忠兵衛が、足尾銅山から江戸へ銅を運ぶ街道の要衝として栄えた群馬県大間々の地に「河内屋」の屋号を掲げ、醤油醸造業を営んだのが始まりです。 …

長松寺

城彩 jyo-sai.comより↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓高崎城跡の北側に、高崎城の移築書院がある長松寺があります。この書院は1730年頃、高崎城本丸の改築に伴い不要となった建物をこちらに移築したそうです。ここは、二代将軍秀忠の次男で三代将軍家光の実弟の徳川忠長が自刃し…

蔵造り商家 山田家

高崎市ホームページより↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓ 山田家(旧山源漆器店) 所在地:本町この山田家のある本町地区は、明治13年の大火により町家の大半が焼失した。その後、この一帯の町家は防火を考慮し、土蔵造り瓦屋根葺きに変貌するが、この店蔵と主屋もその頃建て替え…

連雀町の由来 田町絹市場の由来

案内板 「 連雀町の由来 連雀町の由来は、行商人が各地から蘞著(れんじゃく・荷物を背負う道具で連尺とも書く)で荷物を背負って城下町に集まり、商いが行われた町を蘞著町と名付けられ、俗に連著町・連雀町と書かれるようになったと伝えられており、時の城…

倉賀野宿本陣跡

案内板 「 倉賀野宿本陣跡 倉賀野は江戸時代中山道の宿場として、公用の人馬・荷物の継立てと、公的旅行者への宿舎の提供が課せられていました。本陣はその宿の最上級の旅宿で、大名・公家などが休息・宿泊する場でした。倉賀野の本陣はその一軒で、元和年間…

中山道 「倉賀野宿」案内板

案内板 「 中山道『倉賀野宿』 中山道『倉賀野宿』は江戸より、十二番目の宿場でここから徳川家康を祀る日光東照宮の春の大祭に京都の朝廷が弊帛(へいはく)を奉納する為に派遣した例幣使が通る『日光例幣使道』が始まる。 宿の南には利根川水系最上流の倉賀…

例幣使街道追分の常夜燈 道しるべ

案内板 「 高崎市指定史跡 例幣使街道の常夜灯及び道しるべ 所 在 地 高崎市倉賀野町ニニ三○ 指定 昭和四十八年一月三十一日 江戸時代、日光東照宮には毎年四月に朝廷からの使いが派遣されていた。これを日光例幣使(れいへいし)と言う。 例幣使は、京都を出…

弁財天由来

案内板 「 弁財天由来温井川の中の島に祭られた弁財天は治水の都合で昭和四十八年に現状となったが七福神中の女神であり音楽弁古福徳財宝をつかさどる神として信仰をあつめている杜は天明三年五月に建立された 石の祠で、本年は祭祠二百年当るので参道改修大…

新町宿 小林本陣跡

案内板 「 小林本陣 新町宿が宿場として最も栄えたのは、文化・文政期から天保期(一八〇四~四四)にかけての頃です。小林本陣は久保本陣・三俣副本陣と共に参勤交代の定宿でした。諸藩が届けた印鑑綴りには、金沢藩や甲府藩などの印影が保存されています。…

旅籠 高瀬屋跡

石碑 「 史跡 旅篭高瀬屋跡 十一 雨 きのふよりの雨に烏川留る かゝることのおそれを思へばこそ彼是日を費して門出はしつれ。いまは中々災ひの日をよりたるやう也、道急ぐ心も折れて日は斜ならざれど、新町 高瀬屋五兵衛に泊 雨の疲れにすやすや寝たりけるに…

明治天皇新町行在所

案内板 「 明治天皇新町行在所 (行在所公園) 明治天皇は、明治11年8月から10月にかけて、北陸・東海地域の御巡幸(視察)を行いました。その途中の9月2日に新町に宿泊された施設がこの行在所です。 当時は 木造瓦葺き平屋建の本屋と付属家の2棟で、旧中山道に…

高札場

案内板 「 高札場 高札場は、江戸幕府や諸藩が庶民を統治するための法令・禁令などを板札に墨書し、町辻・橋詰・街道の追分・渡船場など、人目につきやすい各地の主要な場所に設けました。 新町宿では、落合新町と笛木新町の境に設置されました。キリシタン…

新町 八坂神社

案内板 「 新町 八坂神社八坂神社は、明治の神仏分離まで(八坂)祇園社と称した。社伝では斉明二年(六五六)高麗より来朝した調進副使伊利之使主(いりしおみ)が新羅国(しらぎ)牛頭山(ごずさん)に祭られる素戔嗚尊(すさのう)を山城国愛宕郡八坂郷に祀り、八坂造…

中山道案内板

案内板 「 中山道中山道は江戸と京都を結ぶ街道で江戸時代以降五街道の一つとして整備が進められました。 金窪村(現上里町字金久保)は、江戸から二十三里余。文政期(一八一八から)の家数は一六二軒。絵図では陽雲寺や八幡宮が見られます。新町宿への直路がで…

畑時能供養祠 陽雲寺

案内板 「県指定旧跡 畑時能供養祠一基 昭和三十八年八月二十七日指定 参道際にある石の祠は、新田義貞の家臣で四天王の随一と呼ばれ金窪城に住した畑時能(はたときよし)の供養祠と伝えられているものである。時能は秩父郡長瀞町の出身で義貞戦死後も南朝方…

金久保神社

案内板 「 金久保神社 1962年2月22日指定 上里町指定文化財金久保神社は大永5年(1525) 金窪城主斉藤盛光が 鎌倉の鶴岡八幡宮から城内に八幡宮を勧請したことに始まり、 神流川合戦で金窪城の落城とともに焼失しました。その後、 元和年間(1615~24)に 村民よ…

泪橋 石碑

石碑 「 泪橋の由来此の地武蔵国賀美郡石神村浅間山地先 仲山道に、泪橋なる橋ありき。 昔徳川幕府は、大名諸役等通行の砌、 街道筋住民に伝馬なる苦役を課したり。 農繁期の最中に又酷寒風雪の日にも伝馬の人々この橋に憩い、家族を偲び身のはかなさを嘆じ…

浅間山古墳

案内板 「 浅間山古墳(せんげんやまこふん)町指定文化財 昭和37年2月22日指定浅間山古墳は、上里町東部から本庄市西部の本庄台地の先端部に広がる旭・小島古墳群を構成する1基です。墳形は直径約38メートル、高さ約6メートルの円墳と考えられます。主体部は…

金鑚神社

案内板 「本庄新八景 本庄まつりと金鑚神社十一月二日、三日に行われる本庄まつり、山車の引き回しは北関東随一といわれる豪華なもので、本庄市民の自慢の一つだ。金鑚神社は第二十九代欽明天皇のころの創建と伝えられ、社殿は極彩色つるし塗りの権現造りで…

蔵の町本庄

「彩の国 埼玉」より↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓これらの蔵は明治43年から平成21年まで酒問屋小森商店の本庄支店の蔵として使われていた。 小森商店は本店は騎西にあり、現在は株式会社釜屋として埼玉の地酒で有名な「力士」を販売している。 一の蔵(板張り、元は黒漆喰)は…