紗蘭広夢の俳句と街道歩き旅

二度目の東海道五十三次歩きと二度目の中山道六十九次歩きのブログを書いています。今、中断していますが、俳句も書いています。

2021-04-27から1日間の記事一覧

脇本陣・問屋跡

脇本陣・問屋跡 案内板「 脇本陣・問屋跡鳥居本宿には脇本陣が二軒ありましたが、本陣前の脇本陣は早くに消滅し、問屋を兼ねた高橋家のようすは、上田道三氏の絵画に残されています。それによると、間口のうち左三分の一ほどに塀があり、その中央の棟門は脇…

鳥居本駅

鳥居本駅 文化財オンラインより↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓昭和前期(1931年)登録有形文化財(建造物) 中山道鳥居本宿中心部の西側に東面して建つ。木造平屋建て、建築面積八一平方メートル、腰折れ半切妻造瓦葺。南半を待合室、北半を駅務室とし、正面南側に車寄を出し、その…

鳥居本宿 旧本陣 寺村家

旧本陣 寺村家 案内板 「 旧本陣 寺村家 鳥居本宿の本陣を代々務めた寺村家は、観音寺城六角氏の臣下にありましたが、六角氏滅亡後、 小野宿の本陣役を務めました。佐和山城落城後、小野宿は廃止され、慶長八年(1603)鳥居本に宿場が移るとともに鳥居本…

合羽所「木綿屋」

合羽所「木綿屋」 案内板 「 合羽所『木綿屋』 享保5年(一七二〇)馬場弥五郎が創業したことに始まる鳥居本合羽は、雨の多い木曽路に向かう旅人が雨具として多く買い求め、文化・文政年間(一八〇四~三〇)には一五軒の合羽所がありました。 天保三年(一八…

鳥居本宿案内板

鳥居本宿案内板 案内板 「 鳥居本宿鳥居本は、江戸から数えて中山道六七次の第六三にあたる旧宿場町です。当時旅人に道中合羽を製造販売していた店の古い木製看板や、万病に効くといわれる道中薬を江戸時代から製造販売している有川家などに旧街道の名残が見…

岩根家住宅

岩根家住宅 彦根市観光協会ホームページより↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓景観重要建造物 岩根家住宅鳥居本町は、彦根市の北部に位置し、江戸時代には鳥居本宿として中山道の宿場町として栄えた。 天保14年(1843年)の時点で家数は293軒、人口は1448人で35軒の旅籠があったとさ…

湖東焼「自然斎」旧居

湖東焼「自然斎」旧宅 案内板「 湖東焼『自然斎』旧宅江戸時代、『米屋』という屋号の旅籠で、ここに住む岩根治右衛門は、若い頃より直弼の絵の師匠である中島安泰に学び、直弼から自分に自然であるようにと自然斎(じねんさい)の号を賜り、絵付け師として精…

赤玉神教丸有川家

案内板(2016年にはありました。) 「 赤玉神教丸有川家万治元年(一六五八)創業の赤玉神教丸本舗は、今も昔ながらの製法を伝えています。 有川家の先祖は磯野丹波守に仕え、鵜川氏を名乗っていましたが、有栖川宮家への出入りを許されたことが縁で有川姓を名…

鳥居本宿案内板

「 鳥居本宿鳥居本は、江戸から数えて中山道六七次の第六三にあたる旧宿場町です。 当時旅人に道中合羽を製造販売していた店の古い木製看板や、万病に効くといわれる道中薬を江戸時代から製造販売している有川家などに旧街道の名残りがみられます。 旅人たち…

望湖堂跡

案内板 「 望湖堂跡江戸時代、摺針峠に望湖堂という大きな茶屋が設けられていた。 峠を行き交う旅人は、ここで絶景を楽しみながら『するはり餅』に舌鼓を打った。 参勤交代の大名や朝鮮通信使の使節、また幕末の和宮降嫁の際も当所に立ち寄っており、茶屋と…

中山道 摺針峠

中山道 摺針峠 彦根観光協会ホームページより↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓中山道 摺針峠中山道は、鳥居本の宿場町から山道を登って江戸へ下っていきました。山道を曲がると急に視界が開け、この峠から眺める琵琶湖や湖東平野の眺めは最高だったといわれています。 摺針峠には…

番場資料館

番場資料館さらピン Kyoto より↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓ KBS京都ラジオ 毎週月~木曜日 14:00~17:00 ON AIR!!月曜びわいち!今日は、番場資料館さん 8月3日今日の「びわいち」は、米原にあります番場資料館についてお話を伺いました。明治から大正期に活躍した地元の彫…

鎌刃城跡案内板

鎌刃城跡案内板 案内板 「 鎌刃城跡案内板 鎌刃城跡は滋賀県米原市番場の標高384mの山頂に位置する典型的な戦国時代の山城です。 ここは戦国時代、江北と江南の境目にあたることから鎌刃城も国境を警備する目的として、応仁の乱の頃には築城されていたよ…

久禮の一里塚跡

案内板 「 久禮の一里塚江戸へ約百十七里(四五九.五キロメートル) 京三条へ約十九里(七四.六キロメートル) 江戸時代には、三十六町を一里とし、一里毎道の両側に盛土して塚が築かれていました。川柳に、 くたびれた やつが見付ける 一里塚 とあります…