紗蘭広夢の俳句と街道歩き旅

二度目の東海道五十三次歩きと二度目の中山道六十九次歩きのブログを書いています。今、中断していますが、俳句も書いています。

2021-04-22から1日間の記事一覧

中山道加納宿まちづくり交流センター

中山道加納宿まちづくり交流センター 岐阜市ホームページより↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓中山道加納宿まちづくり交流センターについて 加納宿を中心とした中山道沿道の歴史文化の継承を図り、地域のまちづくり活動の場となる「中山道加納宿まちづくり交流センター」が、令和2…

加納宿高札場跡

加納宿高札場跡 案内板 「 加納宿高札場跡 ここは江戸時代、加納藩の高札場があったところです。高札とは藩が領民に法度(法律)や触(お知らせ)を知らせるために人通りの多い通りの辻や市場などに立てた板で作った立札ことです。 加納宿では、加納城大手門…

中山道の道標

中山道の道標 案内板 「 中山道の道標この道標は、江戸中期(一七五〇年頃)新町と南広江の交わる四ツ辻東南隅にたてられ中山道を往来する旅人の道案内の役目を果してきました。 最初は『左 中山道』『右 ぎふ道』の道標でしたが、明治初年に『左 西京道』『右…

中山道加納宿案内板

中山道加納宿案内板 案内板 「 中山道加納宿あなたが立っている道は、江戸時代の五街道の一つ、中山道です。 加納城下町の建設は、関ヶ原の合戦から半年後の慶長六年(一六〇一)三月、一〇石の領地を与えられた奥平信昌が地元の有力者たちを指揮し、整備した…

細畑の一里塚跡

細畑の一里塚跡 案内板 「 細畑の一里塚 一里塚 とは、旅人が道程の目安とする ために一里(約三・九キロメートル)ごとに設置された標識のことです。道の両側に一対の土盛りの塚を築き、多くはその上に榎が植えられました。慶長九(一六〇四)年より、徳川…

切通陣屋跡

切通陣屋跡 案内板 「 岐阜市指定史跡 切通陣屋跡 宝暦五年(一七五五)安藤信成は、父信尹(のぶただ)の跡をつぎ、加納藩主となったが、翌六年、陸奥磐城平に移封となった。 これは、信尹の不行跡にともなう、幕府の処置としてなされたものであった。 その後老…

市場山浄慶寺

市場山浄慶寺 案内板 「 市場山浄慶寺沿革 当山浄慶寺は、もとは天台宗の寺院でしたが、文明十八年(一四八六年)五月本願寺第八世蓮如上人に深く帰依した上人直弟子である正専坊が開基した浄土真宗本願寺派の寺院です。 宗祖親鸞聖人の教えを蓮如上人は、広く…

新加納高札場跡・新加納立場

新加納立場 案内板 「 中山道新加納立場 各務原市那加新加納町 慶長五年( 1600年) 関ヶ原の戦いに勝利を収めた徳川家康は、全国的な封建支配体制の確立を目指し、主要な街道整備事業を行なった。 中山道は東海道の裏街道として京都と江戸を結ぶ幹線道路と…

新加納のカエル伝説

新加納のカエルについてhttp://www9.plala.or.jp/sinsi/07sinsi/fukuda/kaeru/kaeru.htmlより ↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓ 日吉神社は、滋賀県大津市の日吉大社から平安時代に分社されたと伝わる。 昭和47年頃まで境内にあった瓢箪池に多数の蝦蟇が生息していたので、毎年4月…

各務原市民公園

各務原市民公園 案内板 「 各務原市民公園は、 世界的建築家黒川紀章氏のデザインによる市民のセントラルパークです。 その特徴は、一、全面芝生 一、旧岐阜大学の古木を保存 一、公園内にかきねを設けず、 町並みへの波及効果。 一、隣接する新境川桜並木と…

山の前の一里塚跡と潘隆上人名号碑

山の前の一里塚跡と潘隆上人名号碑 山の前の一里塚は江戸から102里目。「日本歴史街道 岐阜県17宿 岐阜散策ガイド」より↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓ 播隆上人は、江戸時代後期の念仏行者です。 越中国(富山県)に生まれ、各地で念仏修行を行ったり槍ヶ岳の登山道を開いた僧…

衣装塚古墳

衣装塚古墳 案内板 「 県指定史跡 衣裳塚古墳各務原市鵜沼羽場町2丁目244 衣裳塚古墳は、各務原台地の北東辺部に位置する県下最大の円墳 です。 墳丘の大きさは直径が52m、高さが7mあり、 周囲は開墾のためやや削平を受けていますが、北側はよく原形を留めて…

西の見附跡

西の見附跡 案内板 「 西の見附跡 見附とは、宿場の入口と出口に備えた簡易な防御施設のことです。台状に土手を築いたり、周りを石垣で囲んだり、盛土をして木の柵を立てたりしました。鵜沼宿には、東の見附と東西の見附がありました。 鵜沼宿の見附は、江戸…

鵜沼宿案内板

鵜沼宿案内板 案内板 「 鵜沼宿 鵜沼宿は、江戸から数えて52番目の宿場です。江戸時代は尾張潘領で、南へ約2キロメートルの木曽川対岸に国宝犬山城があります。 宿内には、神社や石造物、 旅籠の面影を残す住宅などが残るものの、年々、周辺の近代化が進んで…

安田家住宅(若竹屋)

安田家住宅(若竹屋) 案内板 「 安田家住宅(若竹屋)かって安田家は旅籠屋 を営み「若竹屋」と号した。 主屋は昭和五年の建築で、木造つし二階 建ての切妻 造り。間口六間、奥行き五間半の規模で、東側に土間を設け、西側に八畳四室を田の字型に並べている。正…

梅田昭二家住宅、厨子二階、ミセノマ

梅田昭二家住宅 案内板 「 梅田昭二家住宅 首屋は、本家(梅田吉道家 )に次いで古く、明治元年の建築とされる。木造つし二階建の切妻造りで正面中央に人口を設け、向かって左側に鉄格子、右側に木格子をいれる。 主屋の南側には、濃尾震災の翌年(明治ニ十…